現代版ヘルスビルディング 少しづつ進めていこうかとおもっております。

2017年6月6日 / BLOG

ポラリティセラピーの出版物が少ないので、わたしは一つづつストーン博士のヘルスビルディングを現代版に合せて改修してみなさんにお届けしようかと考えました。一冊分すべて完成してからの出版ですと、いつになるやら皆目検討も付きませんので、出来次第, ブログ のなかで少しづつお届けできるといいのかなと思い、トライしてみますね。これで読みやすいストーン博士、もしくは理解しやすいポラリティセラピー、もしくは即に役立つポラリティセラピーとしてお届けできることを願っています。そして脱線もしていきますので、そこはご了承ください、および、必要ない方はスルーしてください。

また現代版 ヘルスビルディング ポラリティ解約文書をお読みいただくには読み難いかたもしれませんが、お手元に一つヘルスビルディングをお買い求めいただくこともオススメします。

でははじめていきましょう。
 まずは P8 ヘルスビルディングの第一項目
はじめに
健康への自覚=体と心と魂の本質的な統一が幸福への鍵
<思考はあらゆる場所に多用な形で発生し、自然の素朴さを覆いかくす>
この2つのセンテンスのなかで、すでに博士は多くのことを語っています。健康を自覚すること、というのは健康は自らで管理するものなんだということ、が大前提にある、ということですね、 ストーン博士ご自身の本に残された言葉はこの日本語のヘルスビルディングに訳されたものより、より厳格な語り口調で、またねばならない調が散りばめられています。この和訳されたものでも、かなりカチコチな感じもあるのですが、、随分と翻訳者の美樹さんと監修のわたしとで減らしています。
ねばならない口調のオンパレードとなると どうしても、読む側にとって、四角四面で頭ごなしな感じをうけとってしまったり、また読む人にとっては少し追い詰められたような感じになってしまったりするかもしれません、そうなるとせっかくの真理の追求という情熱と愛の炎のためにほとばしる気持ちを制御するために使われたであろう博士の厳格な口調も違う形で受け止められてしまい、もったいないことになってしまいます、ストーン博士の愛情と健康、命の育みへの底抜けの愛という炎の流れをみなさんに汲み取って頂けやすくするために解説を加えていきますね。
健康への自覚  これは先ほども書いたのですが、健康とは自分で管理するものであるという基本的態度、意識が必要だということで、
次の <体と心と魂の本質的な統一が幸福への鍵> これは よくいう三位一体の状態 と同じといえるとおもいます。体と心がバラバラになりやすい現代、そう、体のニーズと心のニーズ、体のアクティビティと心のアクティビティとのバランスが図られ、それに魂もしっかり沿った生き方、暮らしを行うということです。 ここに魂というカテゴリーが入りますね、 わたしたち、魂ということをまぁすっかり忘れてしまいやすい文化がここ数十年続いてきたのかもしれず、ここ10年間は自己啓発から自分の魂を取り戻そうというような運動も盛んになってきた感じがします、アメリカではニューエイジという時代1960年代70年代にベトナム戦争を期に、大学生たちが意識を拡張するドラッグも使用しながら、意識改革が一気に行われましたといいます、オルタネイティブメディスンというものが一気に花開き始めた時代、そして心理学もずいぶんと拡張した時代だと思います。
トランスパーソナルなセラピー ともいえるのですが、これは体とマインド、そして個をこえた個、超越した個、自我を理解し、より自分自身が全体と統一感をもちながら成長していく、その中で治癒が発生していき、より質の高い健康も育まれるというようなベクトルがセラピーにあると思います。
どうすれば体と心と魂がバラバラにならず、本質的に統一するのでしょうか? これをストーン博士は端的に表現してくれています。 次の文章、
 <思考はあらゆる場所に多用な形で発生し、自然の素朴さを覆いかくす>
そうストーン博士は、この思考というものをエネルギーとしてとらえ、また思考は質量が物質のように存在すると教えてくれます。ポラリティセラピーは主にクライアントにボディワークを提供するが基本のセラピーですが、この思考は質量をともなって、体の健康に深く関与していて、心身を健康にするためには、この思考についても理解し、また体への影響を理解し、また体に付着してエネルギーの流れを塞き止めている思考を理解し、手放す必要があると示唆してくださいます。このストーン博士が活躍されていた1980年90年代の西洋においては非常に真新しい考え方だったとおもわれます、またマッサージセラピストや整体、整骨、オステオパシーやカイロプラクティックの施術者のみなさんも、実践のなかで、体のコリや塊をほぐしたり、ほどいたりするのですが、なぜ体が歪むのか、なぜ体の流れが滞るのかという、ということにおける思考、またおよび感情との根本的理解をポラリティセラピーの学びのなかで理解していただくことも大いにあると思います。ポラリティセラピーのなかでは思考と感情と肉体の関連性を深く学びます、
<思考はあらゆる場所に多用なかたちで発生し>、身体のあらゆる流れの停滞には関連した思考(もしくは未消化の感情)が存在しているかもしれません。それは無意識に溜め込まれているために、なかなか気がつくことができず、癖のある思考が日々、外側の生活への反応として重なっていきますので、大前提、(もしくは常識の)としてそこにあり続けることになるのです、ですので、何かトラブルが発生したり、人生の難題に出会わない限り、この定着した思考を気がつくことも手放すこともできず、無意識に自分自身の自由流れに限界をつくり、無意識に自分自身が窮屈になっていきます。身体における窮屈さは運動制限が重なった結果もたらされているので、もうすでに自家中毒、自分自身のエネルギーの吐きどころや発散のしどころが外側でなく、自分の内側に爆発しることになるので、ずいぶんな痛みを伴う心身状態として現れてくるといえます。<自然の素朴さを覆いかくす>そう 思考が回りすぎて、本来の<魂>が震えるような感動や心が洗い流されるような心地よい感覚も、思考が巨大になりすぎるならば、味わいにくくなってしまいます。思考が自分のなかで大きなシェアをとりすぎると、魂と心が均等に拍動することができず、バランスが悪くなってしまうのですね、(スピリテュアルに高ければ高いほどに人はシンプルになっている)といわれるですが、自然の素朴さ、シンプルさ、人としての素朴さ、シンプルさが時として現代人のわたしたちにはもう手の届きようがないほど遠いところにあるように思われます。複雑化した人間関係、力関係のなかでビジネスを発展させていく現代ですので、こういったことでも精神的ストレスは多く、人としての自然の素朴さが覆い隠されやすい時代によりなってきているのかもしれませんね、ですので大人になったあとからでも、この魂について、また心についての探求、探検をすることによって、また肉体に宿る本能を探求することによってバランスが図られていくことが大いにあると思います。ストーン博士は、<健康とは体と心と魂が大いなる生命とリズムをあわせて自然な表現をしている状態である>とその次につながりますが、大きな生命とリズムをあわせる、それは大自然のリズムとこの身体にやどるリズムをともに共鳴させながら、自分の心身の本当の状態を外側の自然へも表現しているといえます。<真の健康とは内なる生命の調和であり、心の平和と喜びと幸福で成り立っている>内側の生命が調和的に奏でられ、心が穏やかで幸せや喜びを味わうことを通じて健康は運ばれる、いいかえれば、喜びや幸せは健康に必須ということがいえるのです。それを直に味わうのが肉体であるといえます。 <健康とは体調がよいだけのことではなく、魂が心と身体を通じて自由に現れる道を見つけた結果である>そう、体調がよい状態があり、また自分が生きることを通じて魂の働きをこの世界に届けている状態を見つけた結果この健康は届けられるといっているのです、ですのでポラリティセラピーを通じて健康を語るには、主軸が魂となるのかもしれません、もしくは自分の魂を見出す旅にポラリティは非常に役に立つセラピーと言い換えることもできるのかもしれません、ただ、この魂のみは他人が何かできる場所ではなく、その人とその人の内側が真に結びついた時のみに魂の拍動は味わうものかもしれないですので、これは個人個人の旅といえるとおもいます、またこの個人個人の個性が放たれる場所だと思います。
健康を育む過程を続けながら、より人は成長し、健康が作られているのであると、ストーン博士は熱く語られています。
 長くなりましたが、今日進めた文章は はじめに、からはじまって8行まででした〜 。 さぁ この続きはいつになるか、どう進むかわかりませんが、トライしていきたいとおもいます〜。ポラリティをまなばれているみなさん、応援しています! セッションでいろいろと疑問もでてきているかとおもいます、近直またスカイプをつうじてのスーパービジョン行いますね!(APP、RPP CSU 取得者のみ)

パニックの記憶をたどり、思い出してみたいろんな出来事。。

2017年5月25日 / BLOG

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なんとも、本日、記念すべきトラウマ攻略記念日として自分の記憶にしっかり留めておきたい出来事がありました。海でのパニックが克服されたのです、、そのことについてはこのブログの最後の部分で書きました、もし興味があれば最後までお付き合いください、ただただ、長い文章ですし、乱文ですので、読みづらいと思います。。

わたしは数年前にプラムの種を誤って飲み込んでしまい、胃の真上のところでつまってしまうというバカな事件から以降、車の運転をしているときにパニックアタックになったり、何年か前からの海や湖で溺れた経験が引き金で、海が強くなりパニックになってしまうということがありました。あれやこれや原因を探るのですが、どうも主に運転は電気自動車に乗っているというという点と、きっと2012年にロシアで過ごした経験が体内に残っていたことが原因だろうということがわかってきました。(この運転パニックにおいては面白い記憶の掘り起こしがありました。モスクワでの高速道路の状況が運転中にフラッシュバックしてきたんですね、)、おかげでパニックにおける体のメカニズムが非常によくわかりました、酷く出るときは飛行機の離陸直前などにも出そうになります、もうエンジンの真上に座席があったときにはプロペラの回転方向まで体感してしまうほどでした。。エンジンを動かし始めたときにものすごい電磁波がでるんですよね。。全身でその電磁波を感じたときには、あぁ、、こういうものに神経がされされたら神経がすり減ってしまうなぁと理解できました。よく思い出してみると、まぁ電気自動車に新幹線、飛行機の大量使いの日々なので、実際食べ物で電子レンジなどをつかわないようにしたり、携帯電話は持ち歩かないようにしたりしていますが全然バランスが取れないんですね。また最近、電気の数値を測る機械をおかりして測ってみると、居心地の良い、モンタナオフィスとはうらはらに、まぁ日本のわたしの寝室の電気の数値の高いこと、、これはよくないですね、どうも寝心地があまり良くないとおもっていたんです。やっぱりかぁというところでした。 そしてお知恵拝借、銅線と銅板によってつくるearth抜きですぐさま電気はぬけれるようになったので、それに触れながら夜眠るとと寝た後のすっきり感が増しました。これはとっても簡単なつくりなので、みなさんに大おすすめです。銅板に銅線をくっつけて、銅線の先をアース抜きのコンセントに差し込むのです。次回日本にかえったときには写真にのせますね、簡単につくれますし、費用もまぁ1000円以内におさまります。 さて脱線しましたが、話をパニックにもどして、、 パニックになる直前というのは不安感とものすごい勢いで最悪のケースの想像が思考をよぎります。経験のある方はきっと、深くうなづかれると思いますが、 たとえば 飛行機が離陸したあと、息がとまったとき、どうすればよいいいのか、など。。 もう飛行機のなかでは救急車すら呼べないですし、きっと酸素マスクをもらうことになるけれど、過呼吸ならまず息を吐かないといけないですものね。そんなことを1秒間のなかで一気に考えるのです。そして直後に、<おいおい待てよ。間違っても息を吐いてるわけだから、吐ききれば、吸気がはじまるわけで、横隔膜さえしっかり動かせれたらいいんだよなぁ >なんて考えるわけです。一秒間にどれだけの考えが巡るか、ほんとに恐ろしいほどの思考が駆け巡るんですね、とくに悪いことを想像したときのマッハなスピード感、日々はわたしは能天気というほど 前向きに考える癖をもっているので、このパニックのときの思考パターンは自分のなかでは非常に興味深い体験です、いつもと思考の動き方と全く違う形をして、全く違う速さをもっているのです。 全て体感覚でとらえていく癖が身についているので、わたしはその思考が走っているときの体への影響を観察するようにしています。 そうすることで、エネルギー的プロセスを解剖しやすくなるわけです、ここがそう、マニアックな所以なのです。

ところかわって、パニックのもとになった経験をしたロシア時代を少し思い出してみました。

ロシアにいる時には昏睡状態の友人がつねに命の危機にさらされていたので、意識的に不安感や恐怖、どん底なるイメージが、押し寄せる波のように次から次へとやってきていました。それをイメージのなかでかき消しながら、意識をユニバーサルな潜勢力におくように、それをまぁ天と地の間なのか、もしくは中心軸のなかの宇宙なのかどちらでもあるとおもうのですが、そこに光の粒子が拍動している層のなかに意識を置くようにしていました。ロシア時代の全ての時間軸のなかがもしかしたら精神鍛錬になったのかもしれないいなぁと振り返って思います。。こんなふうに思い返してみることもなかったのですが。。

そう意識の場所を中庸のところにおきながら、現実的な作業を行いました。ロシア時代は現実には数百万円の入院費用を命と引き換えに用意しないといけない、などの危機的瞬間が幾度かありました。たくさんの方から寄付していただいたり、クレジットカードの保険とかけあったりしながら、工面し、ロシア大使金とロシア国立病院間の移動、治療方法の選択などをおこないました。今考えると、きっと二度と経験したくないような心理的ギリギリのなかでの選択の数々だったと思います。わたしはいままで一度も触れたことのなかったロシア人の友達の家でお世話になりながら、地下鉄にのって毎日病院に通う日々でした。ロシア人ほど親身になって助けてくれる人たちは見たこともありませんでした、毎日、毎日出会ったことのない人が助けに来てくれました。毎日わたしが孤独を感じないように、声をかけてくれ、病院での一つ一つの作業が、やたらと難しさが伴うのですが、必ず助けてくれる人が現れ、なんとか3ヶ月を過ごすことができました。オムツを購入するにも、床づれがしているから注意してくださいと看護士さんにお願いするにも、ロシア語を必死に覚えて使うのですが、お店でであう人、病院で出会う人は誰一人耳を傾けてくれないんですね。。ベジタリアンであるわたしがレストランでオーダーするにも通じず、、結局友達に電話をして、オーダーを電話越しにしてもらう、なんていうこともありました。 信じられないほど違う仕組みでロシアは動いています。病院は国営です。そこに外国籍の昏睡状態の人が入院していて、その人の保証人としてわたしが存在したわけなのですが、今後の治療方針なども一手にわたしの意中できまりました。さて、また話がづれてしまいましたが、そう、この友達の事故によってわたしの人生を大きく変わったなあと思います。そう、友達という概念が一気に変わりました。いつしか自分が自分の人生のベクトルを変えるときに人間関係が大きく揺すぶられ、変化のときには必ず一人になるものですが、一人になることへの恐れが少ない自分だったために、乗り越えれたハードルも、逆に乗り越えることになったハードルもあったのかなあと思います。ロシアでの経験以降、わたしには大切な二人の友達ができました。一人がドイツ人のブリゲッタ、一人がロシア人のカリンカです。もっとも辛いときに、どこまでも助けてくれたこの二人が人生でもし一番大変なときが来たとき、わたしは絶対にそばにいようと心に決めていたんだけれど、その5年後に、図らずも、、ブリゲッタのお母さんが旅たつ瞬間は常に私たちは連絡を取り続け、カリンカの大切な愛犬が虹の体になるときも常に連絡を取り続けれました。。きっとわたしがそう心に決めた思いはどこかで彼女たちにつうじていたのかもしれず、はからずとも彼女たちから連絡が随時おくってくれました、、最愛の存在が旅たつ時の心の痛み、ともに分かち合える友がいること、すごく大切だと思います。

物質的には数千キロ離れたところにいても、心がつながっているということがリアルで、ソウルメイトをもつことの深い意味を毎年なにかしら感じます。 国籍も年齢も関係なく、出会う必要がある人同士はかならず出会うことができるんだと、思います。

 

友達のその大きな事故は、わたしが内なる光と音の瞑想の実践をはじめて2年目の出来事でした。それまでのわたしの人生はポラリティセラピーのスクールを運営しながら、そして大きなヒーリングセンターを運営することで疲弊し、このままでは燃え尽きてしまうとおもい、ヒーリングセンターをクローズした直後だったように思います。実際わたしはセラピストとして活動しながら、スクールディレクターをしていたのですが、合わせて大きなセンターの経営、運営者となり、一手に責任が膨れ上がりました。もともと目に見えるものへの執着はほどなく,いつでもセンターは手放す心持ちだったのですが、その場所に携わるみなさんの思いはきっととても違っていたと思います。愛着をもって、その場所を利用してくださっていたお客様、そして使用していた講師の方々へきっちりとご挨拶することなくわたしはその場所を去ったので、きっといろんな思いがよぎったと思います。時間の経過が必要となる出来事、綺麗に洗い流すことがなかなかできなかった人生経験、わたしにとっては苦い思い出ですが、いまでは何よりも関わってくれたみなさん、利用してくださったみなさん、手伝ってくれた友達に感謝を感じています。そう、いまではようやくすっかり過去の一ページだったと観察できますが、30代をいま思い返すと、それはもう、責任の嵐だったように思いますし、きっとそれも知らずうちに全部自分で選んでいたんだろうと今では思います。

さて、人生の軸にわたしは瞑想の実践を置こうと取り組んでいるのですが、その瞑想について少し書いてみたいと思います。

瞑想を練習することは、物質的居場所をかえずにバケーションに旅立つといえます。 瞑想がうまくできると、精神に栄養をもらい、精神力と小時間での睡眠でも体力が回復します、ロシアで転落事故をした友達はわたしを瞑想の道へと紹介してくれた大切な友達です。その瞑想の道に出会うことをわたしは10年間待ち続けていました。わたしにとって、それは ポラリティセラピーの創始者であるストーン博士が最終に終着された内なる光と音の瞑想、Sant Mat の教えでした。それはsience of spirituality として瞑想を世界中で、教えてくださっています。 師は Sant Rajinder Sighen Ji Maharaji ですアメリカ、シカゴとインドのデリーにセンターを置きながら、世界中にて講話を行っていらっしゃいます。 毎年、9月ころか2月ころにはインドを訪れ、師の足元へ行きます。実際にラジンダー師の面前にゆきますと、、もうそれはすごい経験で、すべてが光の中に、感謝の気持ちが溢れ出てくるのです。おもに師のお背中を拝見し、その背後に数千人のすがる人々へ満全の愛を注いでおられる姿を見ると、涙が勝手に溢れてくるというわけです。師のお家のそばにアシュラムがあります。24時間瞑想をすることが可能なホールで、年に2回か3回は師がデリーにもどられるので、解放されます。瞑想は自分自身の精神、スピリチュアルな成長、向上のためにおこなわれる鍛錬ですが、内側の宇宙をどんどん探検していきますので、道先案内、ガイド役として師がいてくださっています。どんなときでも師がそばで見守り、私たちのようにイニシエーションを受け取ったものは、死にゆくときにはかならず師が迎えに来てくださるといいます。いまはまだ死ぬ瞬間など想像もできませんが、できれば、元気なうちにコロっと逝きたいと、そして、このいまの名前をもつ生が終われば、光の粒に戻りたいと願うきょうこのごろです。そしてそれは生まれ変わりを望まない、輪廻の鎖を断ち切る、そのための瞑想の実践ともいえます。。 生きながら、この鎖をきりながら、生きながらより自由になること、それはもう本当にいいことだなあと思います。

 

わたしはロシアでのギリギリの時期、内なる光と音の瞑想はステイ先で行うことで、気持ちを保ち、常に前向きに自分を向けることができるようになりました。どんな不安感も瞑想をしっかりすることができれば、俯瞰して観察することができ、自分の軸から発生しているのではないということを知ることができました。そうして、外的なエネルギー集合としてとり扱えるようになりました。そうすることで、心身に影響を受けずにいることができるようになったのです、 これは非常に大きな成果で、しらずのうちにずいぶん強くなったのかもしれません。ポラリティの師匠であるゲイリーによくわたしは、強い人間だ、と言われてきたのですが、どうもピンとこず、ただ、ポラリティを学び始める前に一度だけ、心を強くすることをやめたいとおもったこと、またロシアにいたときに、ロシア人のような心の強さを持ちたいとねがったことが思い出されます。

 

いろんな出来事があったので、ずいぶんと精神的にタフになった反面に体におけるストレスはパニック反応として、顕著にでるようになってきたのですが、そのたびに瞑想が役になつことを知りました。

運転中や飛行機の中などでのパニックはちょうど良いタイミングで、いま住んでいる村の近くでホメオパスのドクターをされているデニースに出会い、彼女からのレメディによって、いままでの人生で生きてきた、様々なストレスやトラウマを思い出しては解放していくということができました。またパニックも彼女にいただいたレメディを取り始めてからは一度も出なくなりました。興味深いのですが、いつも満月の夜に勝手にパニックになるのです。ちょうど夜の8時や9時頃に。。日本においてもオーストラリアにおいても。。

胸のあたりに水かさが増してくるのを感じた後、心拍が以上に早くなり、その途端に呼吸が上がってしまうのです。夜ふっとしたときにこのような状況になり、空を見上げるといつも満月でした。きっと満ち引きの関係、水に関係しているんだろうな、、とおぼろげにおもったのですが、いやぁ、やはり体は自然物なんだなぁと思います。。

臓器的に、血液循環系のエネルギーが高まるのが午後7時から9時、その直後に低期がやってきて、また腎臓が午後5〜7時が高期 午後7〜9時が低期、腎臓は悲しさを濾す臓器として、また循環系は心理ストレスがもろにでてくる部位なので、心で深く何かを受け止めたとき、に負担が重なる臓器なのだとおもいますが、腎臓は水の循環に非常に関係が深いですし、また循環系は血液そのものの循環に関与していますので、血液には鉄分を含み、生命磁場として、月による水の満ち引き、また磁力による満ち引きに大きく影響を受けるものと思われるので、こういった状態になったんですね、オーストラリアで生活するようになり、aborigineの方々の地球においての磁場とヒーリング場においての関係性、そして、血液による鉄分と儀式のときにぬる赤色の土、また心霊場との重なりなど、興味深い学びをしている最中ですが、実際の自分の体をつうじて学んでいる最中なのかもしれません。とにかく、精神的ストレスを身体をつうじてしっかり消化するには時間がかかるものだということと、意識的に消化していくことで促進されることは理解できてきたようにおもいます。

水に関してなのですが、ここ数年、ハワイ島で溺れそうになったことがきっかけで、海の中がこわくなってしまいました、10年も前は毎日できもしないのに、アメリカの西海岸にいったときは友達のサーフボード、それもショートボードをかりては、毎日波にまみれになりながらも、沖に出ていたように思うのですが、どこかで無理をしていたのかもしれないなぁと思います。しかし、この溺れた以降はものすごい恐怖がおそってきて、足がつく浅瀬でも波が少しでもあると岸に一目散とは知り帰りたくなりました。

海でのパニックはなかなかひつこく、以前は海のそばで暮らしたいばかりに、須磨海岸のビーチ沿いのアパートに引っ越し、毎朝 海で泳いでいたにも関わらず、気が付いたら、海辺で夜眠ることもできなくなってしまっていました。毎晩津波の夢をみて、実際海にはいると、息が止まるか、上がるかで、パニックアタックが心臓に発生してしまいました。これは非常に面倒くさいことなのです。現在、日本とオーストラリアで半々の生活をしていて、パートナーは大の海っ子、生粋のボディボーダーなのですが、彼は一緒にボディボードを楽しむのが願いでもあり、わたしもできれば以前のように海をスイスイ思うように泳げ、できるならば、この広大なビーチで波と戯れたいと強く思っています。そんなこんなで、ビーチでのパニックから抜け出るトレーニングはあれやこれやと取り組んできたのですが、なかなか、わたしの中に残った恐怖の体感覚はひつこく、思考と体の反応がバラバラになることも気がつきました。思考では、絶対溺れることがない足のつく場所にたっているのに、 体の反応は、もう恐怖がいっぱいで、心拍はえらい早いこと脈うっていくのです、加速する心拍により呼吸がどんどんあがり、過呼吸になりそうになっていきます。そうすると体が末端から痺れてくるんですね。奇妙ですが、この体の反応を淡々と観察することはできるのです。。ただ 早く陸にもどりたくてしょうがなくなり、海から出たくなります。そう 逃げ出したいという衝動です。頭ではわかる、なんにも強くない状況なのに、体が怖いと判断して反応してしまう。。そして、息が吐けなくなってしまう、もしくは吐き気がしてしまう、変な妄想的感覚が襲ってくるのです。こんな状況にわたしはほとんど出くわさないので、本当によい機会でした。。わたしは多くのクライアントの方との出会いで、多くのクライアントの方々はこの衝動を日常生活や人生の決断の瞬間に感じることがあるのかもしれないなぁと思うようになりました。反対されるのがこわいからチャレンジできないとか、嫌われるのがこわいから発言できない、とか。失敗するのがこわいからできない、とか、きっといろんな共通項がこの恐怖という感覚によって運動制限がかかっているのでは、と思います。

わたしは状況が海の中、であるとこのように反応しました。 そう、海の水 とは 感情のエネルギーそのものだそうです。 感情のエネルギー量が増した時に恐怖の反動が出る方はきっと多くいるのかもしれないですよね。。また鬱で仕事にいけないほどひどく落ち込んだり、心が苦しい状況になっておられる方が処方される漢方薬に胸から水を排出する というものがあるらしいです。

 

わたしは自分のこの恐怖との葛藤を一つの大切な人生のプロセスとして取り組んでいました。そうポラリティセラピーとは人生をプロセスすることを実体験をもって学んでいくためのものである、と規約にかかれているのですが 自分の人生で役に立たすことが最も深い学びだと思っているので、この数年間のわたの自分へかした課題はこの海での恐怖を乗り越えるでした。 この難題に一番助けてくれたのはパートナーであるシェーンです。海の大エキスパートの彼がそばで手伝ってくれるからこそに乗り越えれたバーだと思います。そして、なんともここが逆説的で面白いところなのですが、一番のきっかけになったのが、 怒りと憤りのパワーだったのです。 大好きな海の中で恐怖におののいているわたしの姿をみることは彼にとって、憤りになっていたのです、わたしの海でのチャレンジが失敗したときの彼の憤りと機嫌の悪さは凄まじく、ときには 帰りの車では一切 口をきかないことすらありました。その時に わたしはその対応にものすごく腹が立ったのですが、そこで思い出したのです! わたしがハワイで溺れた時のことを鮮明に。この記憶が明らかになったとき、恐怖の奥にかくされた自分自身の未消化の憤りがあったことを知りました。この海というキーワードに恐怖というカバーがかかったら、その奥にあった勇気や立ち向かっていくために必要な火がきえてしまっていたことを。 溺れたのを助けてくれた男性はわたしが溺れそうになりながら、help meといってその人のほうへ泳いで行ったわたしに対して、酷く罵倒し、そして助けたくない、ということを言ったのち、渋々とわたしを岸まで連れて帰ってくれました。わたしはその時の感情的ショックと、自分自身の憤りに気がついていなかったことに気がつきました。そう、わたしのなかでの海のなかでのやる気、ガッツ、向かっていく勇気、チャレンジ精神なるものが恐怖という感情ですっかり消されてしまっていたのに気がついたのです。わたしが取り戻さないといけなかったのは、海の中という状況における<火>の感情だったのです。そのことを思い出した途端、やる気がみなぎってきました。恐怖を感じた瞬間もこの<内なる火>がもえさかり、向かっていく気持ちが燃え立つと、自然に恐怖という感覚を瞬時に消し去ることを思い出したのです。シェーンは瞬間湯沸かし器のように憤ることがあるのですが、この彼の傾向がわたしのかき消された記憶を思い出させてくれ、わたしの過去の消し去られた未消化の憤りの経験が理解し、消化され、現在という時のなかでの火をつけることができるようになりました。

またこの気づきがあり、海の中の怖さがなくなったことの副産物もありました。一旦わたしのなかの隠れていた憤りが消化されるとシェーンの奥底に積もり積もっていつ噴火してもおかしくない憤りもウソのように減っています。わたしの無意識に残した未消化の憤りが知らないうちに彼を刺激していたのかもしれません。それはまるで、親と子の関係のように、母親が気がつかない気持ちの憤りがあれば、子供は知らず知らずに非常に影響をうけるものです。カップルというのは本当にリンクしあうものです、お互いがお互いを触発しあうものですから。。。シェーンの場合は自分自身の憤りや怒りを最大限に尊重し、肯定するという教育を受けて育ってきたので、そういったところはわたしは多いに取り入れることをしたいなあと思います。また逆にきっと怒りや憤りに自分自身を占領されないようにする対応を彼は学ぶことをしているのかもしれません。 海の中のレッスンにおいては、彼もいろいろわたしが日本へかえったあと、作戦を練ってくれていたようでした。海の中でわたしが恐怖にかられないように細心の心配りをくれ、また波が崩れるラインよりも岸がわからのアプローチを何度もなんどもするという方法にかえてくれました、そしてそれが難なくできるようになったのち、知らないうちに沖まで誘導してくれ、そのときは波をとらえず、ただただ深い海の安定さを味あわせてくれました。楽しさのみを経験することを繰り返す中で、知らないうちに波への恐怖感がなくなり、一人でもボディボードが楽しめるようになると思います。彼はネズミにサーフィンを教えていた人なのですが、ネズミの赤ちゃんに怖がらずにサーフィンを教える方法をわたしにも適応してくれたというわけです。わたしはもう、最初からそうして欲しかったわけです。なんとも、これも発見したことですが、わたしは海の中で優しく助けてもらうことを無意識的に望んだのかもしれず、きっとそれはハワイでの経験の裏返しの衝動だったんだなぁと気がついたとき、もう目からウロコがポロリと落ちたような、ホッとした気持ちがしました。そう、海のなかといえどもわたしはもう大人なんだということに気がついたんですね。多くの心理療法の中で、この無意識に望んでいる対応のされ方、を提供することもありますが、その同じサークルのなかに居続ければ、いつまでも意識的な成長、根本的な解放は見出しにくいので、どこかの時点での自立、大人への成長が見出すことはとても資源になるなぁということを実体感しました。

そのあとに、きっとこれで海の中でも楽しめるようになれそうだという気がしたのですが、まさしく、このたび、オーストラリアにもどり、海にはいったら なんと全く違う感覚で、一人でも深いところまで泳ぎに行けるようになりました。よかった〜〜、長かった〜〜〜とそんな気持ちがしています。 沖に出ることもでき、一人でも海で泳げることになりました。これで長かった海へのトラウマからは卒業です。なんだか、すごく多くのことを学ぶことができて非常な感謝がめぐります。

この海でのパニックに関して、より理解できたのですが。人は一人では絶対いきていけませんし、難題を乗りこえると決めることは自分自身ですが、仲間や家族、観察者、協力者がいることは何よりもの資源だと思います。

生きていくなかでどれだけ、家族や、友だちや仲間や協力者と過ごす時間がもてるかということは心の豊かさにつながり、私たちがこの体をさるときにただ一つ、価値として味わうにもこういったことのように思います。

愛に乾くことなく、与え与えられ続ける関係性を育んでいきたいと願います。

 

長々と書きましたが、人生はかけです! 勝算が半分あるならば リスク背負ってでも冒険ある人生を楽しむのはいいことだと身を持ってご提案します!

 

 

 

 

 リスキーな提案にいたるまでの片鱗

2017年5月25日 / BLOG

ポラリティセラピースクールとして 新たなリスキーな挑戦です。
真言宗 千日回峰行を行い、行者として多くの活動をされている竹中豊仙先生の波動療法をAPP施術者にご紹介、体験いただくためのワークショップを開くにあたって、下記のようなメールをみなさんに送っておりました。

こちらポラリティセラピースクールよりAPP取得者および、取得を目指しておられる方へお送りしております。わたしたち日本で生まれ、育つことにおいて、他人の気持ちや周りの気を感じ取ることは上手にできても、自分の気を元気に巡らし、太陽の気、月の気などを自在に動かしたり、つながることができなかったりします。竹中先生のご意向により、私たちのスクールにおいて自分を気的に強く練り上げていく力、また自然とつながる力を育て、自由自在に自然の気(エネルギー)とつながれるようになるための自分作りの方法をこのたびは学んでいただける機会をご紹介する運びとなりました。ぜひご自身のセルフケアのため、(エネルギー当たりを減らすため、また気を集めることにおいて、体温を高くしていくため)にまずこの6月23日にご参加いただけましたらと思います。今後は竹中先生直伝の波動をお分けしていく運びとなりますが、これは下記に書かれたことを固く心に誓う人のみ参加していただけるという仕組みとなっております。興味のある方は下記を熟読し、また心を固く決めた上でのご参加表明と願います。また今後の日程はのちにおしらせいたします。

竹中豊仙先生よる波動療法を直伝していただくワークショップを行います。

> 竹中先生は、30年の歳月、厳しい 修行を重ね行者として生きながら、多くの人々を多くの悩みや病気から波動によって救ってこられました。

これまでは、竹中先生が個人と一対一で向き合う形で行ってこられましたが、一対一では助けられる人の数に限りがあります。今後は、波動療法を使える人材を育成し、病気や未病で悩む人々をできるだけ多く救いたいとの思いから波動の技術を直伝していただけることになりました。

ヒーリング・セラピーの領域において、ポラリティのコンセプトのなかで最も大切にしている、<エナ ジェティックにも非侵入であり、中立性が保たれた自分のあり方でクライアントに出会う>、という原理をよりよく体得し、理解し、使いこなしていくためには、自分自身の芯を強く、鍛えていく必要があります。また日本人として長けている、聴く力、引く力、感じる力とバランスをとるために、感じていることを表現する力、違いを認識して表現する力、流れ出す力も身につけていく必要が有ります。

この竹中先生の波動は大自然の結晶力そのもののようなもので、自分自身の内側に潜むもののボリュームを増して奏でさせる作用があり、一時的にヒーリング能力が非常に高まることから、この波動の取り扱い方を間違ってしまうとエゴを助長しかねませんので、学ばれる方は十分に注意していく必要があります。
>  この竹中先生の波動を学んでいただく方は下記の5項目について承諾される方のみに限定させていただきます。
> 1 身体を整え、心身の垢を拭い去るエクササイズを日常ベースで行う心構えのある
> 2 この波動の使い方を誤って自分をすごい施術家と思い上がることのない方。思い上がる

ことのないよう自らを律し、また仲間ともども注意し合う心構えのある方
> 3 大自然の気と一体であるから、この波動を使うことができるのであることから、自我が最

も少ない状態で施術に向かう心構えを毎回のセッションの前後で振り返ることができる方
> 4 現在APPを一旦終了している方、若しくは終了を目指している方
> 5 教えられた技術を3ヶ月以内に身近な人々に対して施術し、その結果をレポートにまとめ

て提出していただける方
>
>  このようなパワフルでシンプルな技術を学びたいと思う方は2ヶ月に一度程度、最低2年間は竹中先生と接しながら波動と心身の調整方法を体得していただくことをお勧めします。
>
まず竹中先生の波動を学ぶための第1日目の予定は2017年6月23日 です。
> この日は主に、調息・調身法を身に付けるための練習方法をお伝えし、午後には、体温を高く保つ方法と生理痛軽減のための療法をお伝えしていきます。
>

日時:2017年6月23日

時間:10時〜16時半

場所:御影公会堂 2階和室

参加費用:25000円

竹中先生の療法をご紹介するにあたって。。
様々なご質問がきています。
それぞれへのご返答 参考ください。
質問: 最低2年、2ヶ月に一度竹中先生にお会いするというのは、個人ではなくクラスがあるということですか?
それと、波動療法はポラリティのセッションを継続しながら活かせるということなのですか?
お返事: 最低2年 2ヶ月に一度 先生にお会いするというのは 個々人でおこなっていただいてもかまわないですし、何かサークルのようなもので みんなであっても構わないですし、 最低は2年間くらい先生に触れ合うことで、調子を崩したり、またぶれたりした時の調整方法をおしえてもらうと、きっと持続的に自分の調整が自然にでき 波動も扱えるようになると思います、
まずは6月8月10月に予定されます、先生の講座をうけていただいて、そのあとは2ヶ月でなくて、きっともっと長いスパンで個人個人のペースやニーズにあわせて先生との関わりをよい距離ではかれればいいなとおもいます。まず 6月は自分自身をエネルギー的、波動的に強くつくっていくことに集中していきますので、ここでまず体験、体感してからこの先を選ばれるとよいと思います!
質問: これは竹中先生の弟子になるような感じになるのでしょうか?
セッションでもらいやすくて困っているし、体も内部が冷えているので多分すごくいいですよね?
強く芯を持ちたいし発していけるようになりたいと凄く思うのでまたとない機会ですが、同時に多くの人に施術してレポートを書いて鍛錬していったり、竹中先生のとこに頻繁に通う時間やお金が取れるかな、と
今の自分にやっていくスペースがあるのか、少し考えています。
どんな感じになっていくのか、もう少し詳しく教えてもらえますか??
お返事:  長い説明になりますが、書いてみますね。
このたびの竹中先生のクラスはできる限り負担のない形で、それでも施術者として稼げるようになるための素地をつくっていくために竹中先生の波動や鍛錬方法をおしえていただくことにしました。
8月と10月に手技を教えてくださる日をワークショップとして行う予定ですが、 そのあとは個々人で必要なときに先生のところへいっていただいたり、みんながあつまって先生のところへいく、もしくはモンタナにあつまるというような形で金額的にも負担の少ない方法で、2年くらいかけて、体と精神をつくるとともに、波動を理解してシンプルにエネルギー療法をしていけれるようになってもらえたらという願いがあります。自己鍛錬は厳しい修行というものではなく、より意識的に呼吸をしたり、気が付いたり、瞬間瞬間を大切に練習に変えていける方法を教えていただきます。頻繁に通うということは間違いなく発生しないとおもいますのでご安心くださいね。
あと 竹中先生の弟子になる、ということでも全くありません。。。先生のしておられる行者としてのお仕事は誰かに継げれるものではないので そのあたりもご安心ください。
安全に気の巡りを良くすること、自分自身をエネルギ^的に強化すること、 そして先生の育まれた自然の結晶のような波動と響きあう時間を増やすことで 自然の波動を奏でやすくなっていかれるとおもいますよ〜・
ほんとにわかりにくい説明文をおくってしまっていてごめんなさいね!
わたしもこの考えにいたるまで、かなりの話し合いの時間、および、先生の波動とは一体何なのかをかなり探求した結果、安全なもの、ユニバーサルである波動ということが理解できたところでのご案内ですが、なにせ時間がなく文章が乱雑でごめんなさいでした! IMG_9770

大嵐となったオーストラリアにてつぶやいてみました。。

2017年3月31日 / BLOG

片田舎 オーストラリア ニューサウスウェールス州 Woombhaという村に引っ越してきてはや、9ヶ月が経ち、今尚、日本とこちらを慌ただしくいったりきたりしています。9ヶ月経ったのちやっとのこと、我が家にセッションルームとしての自分の部屋を確立することができました。

こちらにいる時間のもっぱら空いている時間はアボリジニの原初的かつ包括的な磁場と心霊場との対話がどのように実際の人の精神の層にたいしてこつこつと小さな研究をつづけております。これは大変貴重なアイデアを一冊の本からいただいたのですが、地球の磁場そのものと発達過程による傾向が変化するということ、また磁極の転移にあわせた生命体の変異が地球規模で発生してきた歴史など。。南大陸においてのオーストラリア大陸の磁場感覚と日本のそれとは大きな違いがあり、また自然の周波数も おびただしいほどの違いがあります。この違いを捕える感覚により、より日本に帰国した際にフレッシュな感覚で自然とまた磁場そのものを感じ取り、体の磁極をととのえるポラリティセラピーの発展につなげていきたいと思っています。

先月日本よりこちらに移動する際に、日本から2つの大変ありがたく由緒高き本を保寧寺の奥の本棚よりお借りしてもってきたので、磁場にあわせて金剛経と臨済と道元という本を読み進めながら、禅と哲学についても静慮してみようと試みています。こちらでの時の重ね方はわたしは日本にいるときとは全く違い、1日、1時間がより広がり、より多面的に、他方角をむいてた時間を過ごします。日本にいるときのわたしはもっぱら9割5分、仕事モードで暮らしていて、ヒーリングプロセスに意識を集中させ、、振り返れば、16年の間も脇目もふらず一心不乱によく進んできたものだな、と呆れてしまいます。完全にワーカホリックであります。ある意味の普通の生活を削ぎ落とした味気ないものだったのかもしれません。。 が関係しているかどうかわかりませんが、私の見させていただくお客様方々は本当によく働いていらっしゃる方々、もしくは働いてこられた方々が多いように思います。。仲間意識でしょうか・・・・・・・。

さて、このたびも自分について稚拙な文章ですが、少し書いてみようと試みています。それがみなさまにとって心地よいものであることを勝手ながら願いつつ。なぜこのように自分の内側にある問いや方向性を書き表してみようと思い立ったのも日本を離れることが多いですので、自分のことをまずさらけ出すことによって、安心感につながり、またみなさんに身近に感じていただき、お会いできる数少ない機会をより深い出会いにできればと思う所以です。

 

さて、最近わたしが研究していることの一つに感情の起伏というものがあります。お客様や生徒さんにおいても、この感情の起伏によって、大変疲労感を感じ、また消化不良になっていらっしゃったり、人生の方向性をさだめきれなく、立ち迷っていらっしゃる方に出会うことが多くあります。

自分自身は感情にどうも起伏がつかないタチで、そのかわり仕事への情熱は枯れることはなく、一心不乱にいただく依頼に答えてきた結果がいまの日本での生活をささえている形なのだとおもいます。そしてまたこの仕事への情熱にさいしては 創始者であるDr ストーンには満ち満ちあふれていたのか、、、という疑問がこのポラリティに没頭する最も大きな原因だったのかもしれず、とうとう ストーン博士の情熱の源ソースに触れることに2012年にインドにいたり、その後はまた違う段階においての情熱を燃やすことができはじめました。情熱が消えることがない、、情熱がぶれることがない、、、ということほど幸せで 自分が強くあれることはないのかもしれないんだなぁと ふと思いました。。情熱って便利なもので、日々の感動が増していき、また探究心、好奇心が生まれ出てきます。。これがわたしの感情の起伏にとってかわって存在した熱量の矛先となったようでした。感情の起伏がある方々はこの起伏の幅によってブレが非常にでてきますので軌道修正するにも時間とエネルギーが必要となってきます。結局のところはホルモンと神経のは知らせ方が自分にとって都合のよい、心のよいものであるかどうかが鍵なのだとおもいますが、深い意識の層で、自分を否定する経験が色濃くのこれば、これが弊害となって、心地よい神経の走らせ方にヒビがはいり、ホルモンの出方が著しく健やかさから逆方向での指令がでてしまいます。そうなると体のフィーリングとしても心地よくない振動がふえて、心も体も心地よくない状態にはまってしまい、その周波数にひびきある、ネガティブな考え方、否定的なもしくは暴力的な、痛々しい考えが自分を支配してしまいます。

さて、ここで落とし穴、感情の起伏があまりなく、仕事には情熱的に一心不乱に邁進する、、このタチの人々はプライベートな人間関係を味わい深く過ごすことがとっても下手な傾向がある、ということです。なので、仕事においてのキャリアはせっせと上り詰めれても、家に帰れば貧相な人間関係、、、これは恋人がいるとか、結婚しているというよりも、また1対1の関係性をバランスよく築き上げるためにもよりもまずより基本的に重要だとおもわれる、友情関係、家族のように親しみ支え合える人間関係が築けているかということかもしれません。。。わたしはどうも情熱が仕事に爆発させ、それまでの友達とつねに一緒にいる音楽人生から区切りをひき、全くの味気ない24時間仕事人生をおくった数年間がありましたが、家族のように慕い、ささえつづけてくださる師匠方々との出会いで、人間関係の育み方すら学ぶことができ、味わい深い縁の紡ぎ方、深い信頼と尊敬を分かち合う友情の結び方、また味わい深い自分の中心との縁の紡ぎ方を学ぶことができてきたように思います。また縁を育むと同時に縁に執着をしないということ、これもまた学びの醍醐味なのかもしれません。。わたしがスクール運営などという、とても向かないような仕事を16年もつづけてこれたのは間違いなく師匠のおかげであり、やる気と根性と理念を貫く強さをみせつづけてくれた父のおかげであり、また日々をささえてくれる友達のおかげであると思います。というわけで、RPP ポラリティ専門者を卒業させるという16年前の夢が叶い始めて 振り返ったスクール運営ですが、スクールという一つのコミュニティを育むということによって、自由に行き来し、自由で新鮮な縁がいつも生まれるような、またインフルーエンスではなく、インスピレーションを分かち合うようなそのような集まりにしたいと願っているということが自分の理念になっているのだなあと思います。最近の生徒さん方々の活動をみてみると、この自分の思惑がありがたいことにみなさんと共鳴し、現成していることを聞くことがあります。この思いを情熱の火種に今年もゆるやかにスクーリングを続けていきたいと願う次第です。この思い、にきっとわたしは願いという感情がこもっているために情熱が絶えず湧いてくるのかなあ。。。などといま思いついたりします。生徒さんとして出会うことになったすべてのみなさんが心の底から涙したり、笑ったり、むき出しの感情を取り戻し、より可能性がひろがる思考をいつもキャッチして、セラピストして健康を司る仕事に携わってゆく姿をみるのは、どうも緑豊かな森や草原に花がたくさん咲いていくような景色なんだな、と思います。一人一人のハートに温もりと優しさが沸き立ち、健やかさを基調にこの世の中を渡って行かれることを手伝う仕事というのはやはり良いものだなあと思います。

 

さてさて、情熱についてまた説明してみますと、人という動物は感情がはいらなければ集中することは長続きせず、情熱も感情エネルギーが多くの熱量の元となりますので、仕事、それを成功させる、というところに矛先がむいてでの目標設定では スタートからゴールまでの 2次元的空間しか開くことができず、非常に精神的には貧相な領域でのみ生きることになり、いつしか感動する、というような高次の精神活動がしにくくなってしまいます。高次の精神活動が減っていくとどうなるかというと、、、心にゆとりがなくなってきて、自然にありがたいな〜と感じたり思ったりすることが減ってしまうのです。またわ〜、やった〜!終わった〜!完成した〜!というような満足感も得ることが少なくなってしまいます。幸せを感じたり、包まれているような感触を感じたり、一体感を感じることが減ってしまうと、せっかくの人生が味気なくなってしまいますものね。。そして、この高次な感覚を味わっている時には必ずそれに準じたホルモンが体の中から放たれているということですね。。。。生理的肉体を自然に戻していくことを通じて、一人一人の幸福感を取り戻していけるための これからもまた旅を続けていきたいなと思います。

 

きっとこの長い拙い文章をよまれているみなさんは生徒のみなさんか かなりな物珍しい方と思います。この画面の向こう側にいらっしゃるみなさんのハートに嵐の後のような健やかに日差し、青空が届きますこと願っています。

 

2017年 3月31日 kyoko @ woombha NSW

 

 

2017年 明けましておめでとうございます。

2017年1月2日 / BLOG

新年 改めまして明けましておめでとうございます。

 

本年のはじまりがみなさまにとって、こころ穏やかで、心地のよい時間であること、願っております。

オーストラリアのNSW州 Woombahという片田舎から2017年はじまりのつぶやきを書き始めてみようかと思います。 ブログを書こう、書こうと思いながら、はや一体何年くらいたっているのかわからないけれど、年初めということを口実に。お時間許す方はどうぞおつきあいください。

日本の愛しの我が家にすむ友達が初日の出の写真をおくってくれました。六甲の山の裾にわたしは日本の住居をもっていて、光栄にも昨年末はじめて六甲山のなかでお仕事をさせていただく機会をいただきました。YMCAに創設された由緒あるトーテムポールの神話を祝うための会でお仕事させていただけたことは、神戸の街に生まれ、神戸に住み続け、六甲に居を構えた上でこのうえなく、充実した出来事に感じました、呼んでいただいた松木正さんに感謝限りなしです。松木さんはサウスダコタ 平原のインディアン、ラコタ族の方々と長く生活を共にし、彼らの意思を引き継ぎながら、精神の流れを彼らに直につなげ、多くのスウェットロッジやビジョンクエストを本式に沿って行っておられる、非常に貴重な方に思います。めぐりめぐって、鎌倉でご縁をいただいたことに不思議な感じがとってもしました。 めぐりめぐる人の縁、また縁を超えてつながっていく協力しあっていける前進は、これからも楽しみな流れです。

人の縁ってとっても面白いものです。すごく大切にしていたのに、思わぬ誤解やお互いの生活リズムの歯車がずれていき、急に薄くなっていくこともあります。変わらない縁というものは本当は何もないのかもしれませんね。たとえ血を分けた兄弟でも産み落としてくれた親でさえも、何か思いが強ければ強いほど、誤解が生じれば縁はこじれてしまいます。ややこしいのはこのこじれた縁、というものが、因縁となって、血の中に脈々と流れ続けやすい、、とくにいろんな国で生活してみて思いますが、日本はその色が非常に強く出やすい特質をもっているように思います。現在発生している人間関係の滞りが、一体どんな過去の流れを汲み取り形成されたのか、なんていうのに時々想いを馳せることがありますが、地域ごとに違う様相が浮かび上がり、こちらもとても興味深いものです。祖先信仰、これは仏教に由来しますが、子孫である子供達が祖先のことを思い、必死とお経を読みあげ、供養を願う、ご利益をいただこうとする姿勢よりもいままでの命の運びを感謝し、来た道を照らし、ゆく道を照らすようなものであるように思いますが、そのような中で供養を思い、お経を読み上げることは、きっと良いことのように思います。子孫であるわたしたちしか出来ない祖先の供養というものもきっとあるのかもしれないですし、何代も前に出来上がってしまった因縁がもろにかぶってしまう形で現在に影響をうけているような方々はその因縁が始まった頃にたいして、供養をし、そして出来上がる前の祖先につながりなおしていくようなことも必要に思います。自分が現世で作った記憶のないような業をなぜ、自分が背負わなくてはいけないのか、と きっと腑に落ちないと感じることもたくさんあったり、またなんで こんな家に生まれてきたんだろうと嘆いたり、反対に出来上がっている問題はすべて自分のせいだと自分を責めたりするよりは、できれば出来上がってしまった因縁を祖先の流れの滞りとしてとらえて、 綺麗な透き通った川の流れのように純化していくことを願いご供養を思い、毎日こころをそこに持つ時間を持たれることをお勧めしたいな、、などと思います。お経とかいてみたのですが、もし祖先供養をしたい!とおもうならば、祖先が信仰したのが仏教であるならば、その宗派のお経を必死と読まれるのがいいのでは、また本当に力あるその筋の方々に依頼することもいいことに思いますが、飛鳥村の祈祷寺、岡本寺で得度をされておられる風水の金寄先生、また高野山真言宗、阿闍梨でいらっしゃる竹中先生と関わらせていただきて、多くのおしえをいただいたなかで思います。しかしなかなかそれを知ることも難しかったり、またその宗派をしっても導き手が近くに見当たらなかったり、、難易度があることが多いと思います。そしてとどのつまりは方法よりはこころの置き方が重要にも思います。 結局宗教というものは形としての扉なわけで、本質的には形なきものの流れを純化させていきたいわけですので、こころがどこまでも透き通り、そのこととともにあるかということが大切に思います。祖先供養をするときにも、いまの自分のこころを透明にもち、こころを一つにして祖先が心地よい光の中にいらっしゃることを想うこと、がいいことのように思います、そのなかで、現在という今にいるわたしたちのこころも自ずとより透明になり、知らないうちに自分を小さく形作っているエゴも透き通って負荷のかからないようなものに変化していくんだな、、と感じる今日この頃です。

つれづれと書いてみましたが、なぜだか今日はそのようなことで。。

何かのお役にたつことをねがいつつ、とりとめのないつぶやきをよんでいただいたお時間ありがとうございました。woombahは猛暑の真夏です。。。大型ホームセンターで格安のエアコンをかったけれど、まったくもって部屋を涼しくしてくれないので、いまから返品しに行こうと思います。返品できたらいいんだけど。。。。。。。         by kyoko

2017年Mt Rokko

初めまして

2016年3月18日 / BLOG

ブログを開設致しました。

2016年3月6日 / BLOG

POLARITY THERAPY SCHOOL OF JAPANKOBE MONTANA OFFICEのブログを開設致しました。

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