Dr. Randolph Stone’s Polarity Therapy : The Complete Collected Worksを読む(第8回)

Polarity Therapy : The Complete Collected Works

エネルギー

生命は神秘である。それはエネルギーのスピリチュアルなエッセンスである。すべての「無限のひとつのもの」の外側へ流れ出ている息吹は、すべての「未知なる創造主」であり、「生命」全般の遠心性のエネルギーだ。「スピリチュアルな音のエッセンス」である神の言葉が無限の空間に響き渡るこのプロセスによって、すべてが創造されたのである。「神は言った」のだ。「上にあるもの」が、下にあるものを支えるのだ。

 その「高いスピリチュアルな領域」の下にあるすべての生命は、生き、動き、呼吸しているすべてのものの供給源である、その「セントラル(中心の)エネルギー」によって維持され、支えられている。その「スピリチュアルエネルギー」の光線は、私たちの太陽の生命そのものであり、地球上のすべての生き物や物に、次々と、暖かさ、拡張、成長のエネルギーを放射している。その高いところからの「中心の未知のエネルギー」は、人間、動物、すべての植物における生命力のエネルギーと意識である。人間においては、脳脊髄の軸のイーサー(空)の物質の中で「チャクラ」または「センター(中心)」として渦を巻き、すべての身体機能の軸になっている。生命エネルギーは内側から、人間や宇宙の意識的、潜在意識的な機能のためのそれぞれの変電所( [substation]sub-station(副の駅))やエネルギーセンターの上を流れ、小宇宙と大宇宙に供給される。

 渦巻くエネルギーは集中の中心を形づくり、そこから他の作用の中心との関係において、プラスまたはマイナスの電荷として外へと流れ出る。これが「極性」、もしくは引力と斥力である。内側の中心は、絶えず変化している引き付けるエネルギーであり、「自然」の貯蔵庫から引き出されて、そのエネルギーの物質を自らの用途や肉体の機能に適応させる。このようにして、私たちは物質の宇宙的な力で、極性を保ち続けることができるのである。

 草の一本一本は、大地、水、空気、暖かい太陽の光から必要なものを引き寄せて、自らの生命の振動パターンを作る力を持っている。植物、動物、人間のすべての生命は、これらの4つの極性を持つエネルギーの流れの中で、この供給を分かち合っている。これは「十字架」または「かぎ十字」とされる「生命の輪」の「目に見えないエネルギー」であり、空間物質の中で作用して渦を巻いているために、現象的な外観では動いている一つの単位のように見える。これはカバラ研究者には「タウ」、「生命の聖なる十字架」として知られていた。

 形:形の創造とその活動には、エネルギーの中心が不可欠である。エネルギーは集中され、明確なパターン(ひな型)と設計図どおりに働くことが不可欠であり、そうでなければ消耗してしまう。静止している水の池に石を落とすと、集中したエネルギーの衝撃が尽きるまで、揺れ動いた部分から波は放射状に広がる。

 「マインドとエネルギーの集中」は、形の機能を維持するために不可欠である。膨大なエネルギーを蓄えている「自然」でさえ、絶え間ない拡大や消費に耐えることはできない。雷雨が終日に渡って続くことはめったにない。もし「自然」が、季節や休息、変化がないことに耐えられないのなら、人間が、集中し、消耗したエネルギーフィールドを回復させることなしに、どうやって何かを成し遂げることができるだろうか?魂のエネルギー、マインド(思考)、感情、または肉体的なエネルギーであろうと、この機能と休息の原則はどこにでも当てはまる。これは「自然」における周期性または循環、あるいは運動における波の法則である。

 「マインドエネルギー」は、明確なパターンではたらく。パターンフィールドの中心は活気づいていて、しなやかで、拡がりがあり、明確な軌道でエネルギーを放射している。外縁に向かって進むにつれて、粒子は中心からの距離の二乗に正確に比例してエネルギーを失う。

 「エネルギーの輪」は、分子や原子、個々の単位として回転し、海の中の泡のように、広大な宇宙の中に、自らの現実を創造する。このようなエネルギーフィールドの表面では、その大小にかかわらず、空間の抵抗にあって、収縮し、結晶化するまでの速度がさらに遅くなる。これを分子の表面張力という。地殻、頭蓋骨、ナッツの殻、卵の殻など、硬い殻や外部が形成されるのは、このプロセスによって、柔らかく拡大し続ける内部のエネルギーフィールドを閉じ込め、保護するためである。シェイクスピアは、『ロミオとジュリエット』の中で、ロレンス修道士が語る数行の中に、この「自然」のプロセスを巧みに表現している。

「自然の母である大地は、その墓である。自然が埋葬する墓は、その子宮である」[1]。

 ギリシャ人たちは「自然」を理解し、この実り豊かなフィールドを、触発を受けた神話や演劇に活用していた。

 「陽」とは、古代中国人が、この膨張し続ける男性原理に対して使った言葉である。「陰」は、収縮、集中、抵抗の女性原理であった。この双子の力は、すべての創造された形の中で作用している。なぜなら、この2つの要素がなければ、形が機能することも、形が永続することもできないだろうからである。

 エネルギーの潮流は、絶えず働き、あるいは遊び、そのフィールドとパターンの中で、エネルギーの潮流自身から流れ出し、互いに流れ込んでいる。このプロセスが、生命の機能と形を維持している。

 エネルギーフィールドの小さな単位は、それが同調している、より大きな単位や、軌道から、エネルギーの供給を受ける。なぜなら、それらが彼らの故郷、源、あるいは親のフィールドだからである。溶解している単位は、自由なエネルギー粒子として、源、または、より大きな単位に再び吸収される。これが、原因と結果、退縮(インヴォリューション)と進展(エヴォリューション)、形の誕生と死、健康と病気の一連の流れである。

 私たちの太陽や他の惑星とその軌道は、宇宙空間では楕円のデザインまたは球状の形をしている。この類似性は、小さな細胞、露のしずく、分子、原子、渦巻く電子にも共通している。私たちの肉体も、この計画に基づいて作られている。すなわち、肉体には、エネルギーの渦によって作られた、5つの楕円形の空洞があり、空洞はまた、この空間の機能を維持し、外側のより大きな世界である「自然」へと、そのエネルギーの供給のために、空気、液体、固体の食料物質と呼ばれる、様々な密度の具現化され固められた媒体を、つなげている。

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[1]第2幕、第3場

 小さなエネルギーフィールドは、より大きなユニバーサルなフィールドから引き出されたエネルギーを絶えず供給されなければならず、そうでなければ小さなエネルギーフィールドは消滅してしまう。それは、内側や外側の供給源やユニバーサルエネルギーフィールドとの関係の中で、小さなエネルギーフィールドを、相互関係や旅や幸福の軌道に結び付ける、引力の絆である。

 人間の物質的な肉体は、人間が自分自身がそうであると想像するであろうほどには自立していない。人間は、空気を呼吸するたびに、より大きな大気の体積に依存している。また、人間は、自然からの水や液体に依存し、また、栄養となる食物にも、光と熱にも、そして人間の愛と理解にも依存している。天から降るマナと同じように、このどれもが体内に溜めておくことはできないし、そうでなければ詰まってしまうだろう。毎朝、そして一日中、呼吸するたびに新鮮なものを集めなければならない。液体と食物は肉体を再び満たし、アイデアは個人の行動の領域においてマインドを再び新しくし、宇宙とのリズムを保ち続けさせる。そして愛と献身は、人間の意識的な存在を内側に、すべての「存在」の永遠の「源」に結びつける。

 これらは、もし私たちがこれらを読むことができ、私たちの日常生活や用途に合わせて解釈することができるのならば、「古代の叡智」が私たちのために神秘主義の言葉で記録した物語の一部である。

 人類の創造の物語もまた、理解力を持って読むことができる人たちのために、それを保護するため秘密の象徴で書かれている。新約聖書の中でも、象徴の実践は用いられており、なぜならイエスの記録として「彼は、たとえ話以外では彼らに教えなかった。」[1]とされる。聖パウロは、「聞く耳を持つ者は、聞きなさい、」[2]等と言った。

 過去の聖典や秘密の書物は、私たちが人間と呼ぶ、肉体の内側にあるエネルギーの流れの内なる意識に基づいていたのである。彼らは、この知恵を、後世の人々に、象徴、たとえ話、神話という形で、分かち合おうとしたのである。この知恵の一部は、人間が優れた存在で、物質に退縮してしまう最終的な状態に陥っていなかった時代にまで遡る。

 下るものは必ず上がる、そしてその逆もまた然りである。もし進展があるとすれば、たとえその年代が離れすぎていて歴史には記録されていないとしても、その前には必ず退縮があるはずだ。「自然」のいとなみの果てしないプロセスの中で、時間は重要な要素ではない。重要なのはそのプロセスであり、なぜなら、もし私たちがそれを見ることのみをし、それを知覚することができるのならば、もしくは、超音速の波として、内なる超越的な音のリズムを聴くことができるのならば、そのプロセスは存続していて、私たちの内側と私たちの周囲のいたるところで、さらに続いているからだ。それは「天球の音楽」であり、全人類の心の本質にある「生命の歌」そのものなのである。

 私たちが五感の生活と放縦の夢から目覚めて、より微細なエネルギーフィールドに注意と興味を持つことによって、神の子どもたちとしての本来の遺産を受け継ぐのならば、すべての人間は、この能力を持っているのである。

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[1]マルコの福音書 4:34

[2]マルコの福音書 4:9、マタイの福音書 11:15

 人間を理解するために、これらのエネルギーフィールドのいくつかを、個々の形を創造し、それを維持する日常のプロセスでたどってみよう。起源の創造は、聖典に書かれているように、プロセスを開始し、ペースとパターン(ひな型)を設定し、惑星のように、それ以来、その軌道を回転し続けている。時間は「ユガ」、または太陽周期、または、その源や重心の中心や移動の軌道を周る創造物の回転で測定される。科学では、私たちは光年についてすらすらと話すことができるが、聖書のような神秘的な文章を読むときには、私たちは創造の一日を私たちの現在の24時間の一日だと想定してしまうのだ!私たちは、「魂の生命」の事実を読み解き、それを様々な速度のエネルギー周期として解釈することに、私たち自身の方向性を持ってこなかった。私たちの日常的な考え方は、エネルギーフィールドや、その移動速度、エネルギーの形の単位における力線の流れに関して、私たちの標準的な科学的概念の域にすら及ばない。

 パターンはマインドエネルギーフィールドである。生命は、細胞という単位のパターン(ひな型)に基づいており、その集合体が、個々の単位や存在を構成している。それぞれのエネルギーの種類には、振動速度と波長があり、それによってその機能と、肉体の中や宇宙の外側で機能する他の同様のエネルギー単位との親和性が決まる。

 エネルギーフィールド(中性子や原子核など)の中心は、エネルギー粒子が回転し、固まったような外観を与える、活動の球体の生命と光である。それぞれのフィールドには、超音速の音波や超越的な光波のディスプレイとして、染色体や人間の目がまだ見たことのない色の光線として、美の神秘が閉じ込められている。このようなことを語るのは神秘主義者だけで、私たちは彼らをおかしな人だと思っている。しかし、私たちは光年について、まるでそれが私たちの身近にあり、生涯の事実であるかのように、軽々しく語っている。

 思考の波についての論評マインドエネルギーは、物質の最も微細な形である。思考のエネルギーは波状に流れ、個別化とはほど遠い。私たちは、ただ単に、良い波、受け入れられている波、人気のある波、安全な波に波長を合わせて、ただ乗りをし、それを知識と呼んでいるだけに過ぎないのだ。私たちの選択と選別は、表面的な大きさに限られている。つまり、「古代の船乗り」が海の果てで大地から落ちることを恐れたように、私たちは深淵を恐れているのである。

 私たちは、昔の人たちは今の時代の賢さを想像していたはずがないと思い込んでいるが、彼らが書物の中で、私たちがほんの今気づき始めたばかりのエネルギーフィールドについて私たちに語ったところで、私たちはそれらを理解することができない。私たちの生活の重要性は、すべて外側にある。それに対し、彼らの生活の重要性は、この固体物質の現象を構成している、内側のエネルギーフィールドについて、より深く感知することだったのである。古代人たちは、瞑想的な生活の中で、エネルギーを集中させ、物体の殻を見抜き、より微細なエネルギーフィールドに核を見つける時間を持ったのである。一方、私たちは、遠くへ速く行くことを急ぐあまり、表面の波の上に乗って、堂々巡りをし、魂の休息も見つけられず、心の痛みや私たちに押し寄せる多くの問題の慰めも見つけられず、肉体的な苦しみの答えさえも見つけることができない。

 私たちが新しく見つけた速さは、それ自体、慰めにはならない。なぜなら、速さには多くの致命傷があり、私たちの進歩は私たちの心の慰めにはならず、安全ももたらさないからだ。それどころか、富と同じように、速さは、さらなる心配と不確かさをもたらす。自然の止むことのない車輪に巻き込まれても、私たちはさらに速く、さらに速くと進んでいかなければならない。なぜだろうか?人間は、この速さの車輪の縁から中心へと向かい、安息を見つけ出すことができるだろうか?物事のうわべや見せかけを好むのか、物事の深淵さや簡素さを好むのか、その選択はそれぞれ一人一人によるのである。私たちは本当に物事をありのままに理解したいのだろうか、それとも、単に個人的な興味や執着で物事にそうであってほしいと望んでいるだけだろうか?私たちは、学び身につけ、完全に先入観なく知覚することができるだろうか、それとも、ただ私たちは望み、願い、選択することしかできないのだろうか?

 創造:私たちが「スピリットエッセンス」と呼ぶ最も微細な種類のエネルギーフィールドでさえ、その広大さのために、その表面では振動と猛烈な速さの速度が遅くなり、中心からの距離の二乗に比例して速度が落ち、エネルギーの集中が減る。

1 、これらの減速したエネルギーフィールドは、リズムと速度が違うために、最終的に「親単位」から分離され、「親フィールド」または「源」を中心に周る、単位または球体となる。

2 、この分離プロセスは、明確な振動の強さや、エネルギーフィールドの平面ごとに行われる。「上のもの」または「源」は、そこから発出されて密度と具現化へとさらに一段階下がった平面やエネルギーフィールドに供給し支配する。私たちの太陽と惑星は、同じプロセスを経たのである。

3 、マインドエネルギーは、「超意識」または「コーザル体」と呼ばれる最も高いマインドフィールドに、無限のさまざまなパターン(ひな型)を創り出す。そのパターンは、私たちが種子と呼ぶ、物質のあらゆる小さなエネルギーフィールドの中に保存されており、そして、この事実があるからこそ、それをそこから外へと展開させることができるのである。

 「魂」は内なるエネルギーフィールドであり、「意識」のフィールドにおける「行為者」であり、「目撃者」である。すべての創造は空間の中で行われるため、私たちが「自然」と呼ぶ、形と形ある生命というもう一つの要素がある。「マインドプリンシパル(思考の原理)」は、空間から外へと形を押し出す、もしくは空間(生地)の中へと形を押し出す、型とパターン(ひな形)(クッキー型)である。

 ヒンズー教の「プラーナ」は、ヘブライ人の神秘的な「マナ」と同様に、「鋳型」としての「マインドエネルギー」と、抵抗する「物質」や「事柄」としての、または最終的に「地の元素」としての「スペースエネルギー」という、この2つの正反対の極の間の神秘的な連結、または中立的な共通の分母である。「プラーナ」は生命の息吹である。これは人間における生命エネルギーである。

 マインド(思考)のはたらきは、物質に直接作用するには速すぎる。知性のある存在であっても、すべての思考が流れるように一度に形になれば、それは破滅と災いを招くだろう。また、抵抗極である物質は、マインドの影響を直接受けることはない。イエスはこの事実を次のように述べた。「人が思い悩んだからといって、寿命を少しでも延ばすことができようか?」[1]

 つまり、一つの「エネルギーのニュートラル(中性)の川」、「プラーナ」、「マナ」は、楽園、「マインドエッセンス」、「アーカーシャ」のエネルギー空間の平面から流れ出し、エネルギーの4つの状態や、古代人が「元素(エレメント)」と呼んだ物体の質に分かれる。これらは、物質科学における、物質の99の元素と混同されるものでは決してない。[2]科学の99の元素は、「偉大なる生命の木」の枝や小枝に過ぎず、空間物質や物体における「マインドエネルギー」の最終的な相互作用なのである。

 人間の身体においては、「マインドエネルギー」は脳と神経系を流れ、生き生きとした「知性」、「感情」、「知覚」、「意識」、すなわち、すべての感覚の根源となり、「物質」の形の中や物資の形を通してのすべての感覚の「気づき」となる。

 人間の身体は、「物質」の一つの形として、スペース(空間)の一部であり、全体としての「自然」である、より大きなスペースの元素と絶えず接触していなければならず、そうでなければ、人間の身体は消滅してしまう。「生命」のエネルギーリズムは、そのあらゆる部分を通して動き続けなければならず、そうでなければ、4つの状態または物質の種類を含む、その4つの極性化された元素(エレメント)の種類と同じように、損なわれてしまう。そのエレメント(元素)とは以下である。

1. 熱、暖かさーエネルギー

2. 空気、酸素ーガス

3. 土、固形物 ー食物

4. 水、液体 ー飲料

 肉体の中には、4つの極性化されたエネルギーが流れる4つの大きな空洞と、これらの潮流の変圧器としてはたらき、フィールドの強さを段階的に下げる器官がある。これらの器官はまた、エネルギーの変換器としてもはたらき、「マインドエネルギー」と「空間物質」の表現単位として健康を保ち続けるために、固体、液体、気体、熱エネルギーから、身体が自らの燃料と栄養として必要とするものを抽出する。しかし、主には、より細かい交換媒体と、より粗い交換媒体を通じて、「自然のユニバーサルフィールド」と調和とリズムを保つ。

 「生命原理」と、他の形態の潮流や物質を食物や栄養として身体の中に運ぶ川は、血液の流れである。だからこそ、「意識」または「大脳の機能」の作用の有無にかかわらず、自然においては動脈が至高を支配しているのである。

 魂は意識であり、つまりプラーナは生命であり、つまりマインドエネルギーはニュートラル(中性)な「魂」と「物質」の間の出会いの場である。これらの力は、すべての合理的な治療において理解され、バランスが取られる必要がある。そうすることによって、これらの力が自由に作用することができるのである。

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[1]マタイ 6:27、ルカ 12:25

[2]現在118の元素が認められている。

 聖書にはこう明言されている。「肉の命は血液の中にある」(レビ記 17:11)。3つの主要なエッセンスが集結し、血流と呼ばれる生命の川を構成している。第1は暖かさであり、より微細な秘められた「プラーナのような」エネルギーの光線を持つ、太陽の火のようなはたらきの原理である。血流の中にこの活動的な原理がなければ、魚や蛙や下等な冷血動物のように冷たくなってしまうだろう。人間が太陽の光を愛するのは、太陽がまさしく人間の血液の一部だからである。しかし、日光に耐えられない人もいる。なぜなら、彼らは「月のエッセンス」をより多く含んでいるからだ。

 第2の川は、血流の中の風のようなはたらきの原理とエッセンスである。これによって、外側にある地球の酸素の貯蔵と、酸素自らが使い果たした供給との間で、酸化と交換が可能になる。このユニバーサルエッセンスのはたらきなくして、この惑星上の生命は成り立たない。「呼吸は生命」 であり、秘められた生き生きしたエネルギーである。酸化はまた、生命の川としての血流の液質である、火のようなはたらきのエッセンスと水の原理との相互作用([interaction]inter-action内側の作用)を引き起こす。 

 月のエネルギーは、第3の原理で、血流の水のようなはたらきのエッセンスの源である。酸化は、「自然」の身体を冷却し、蒸発させる効果がある。これは、地球を通して流れる3つの生命の川の流れによって、人間やすべての植物の土のようなはたらきの性質を結実させる。

 第1の川は源であり、そこから4つの川すべてが流れ出て、4つの川は必ずその源の川へと還らなければならない。最後の川は地であり、他の3つの川やエネルギーのエッセンスの作用の結果である。最初の川は、それを通して自らを表現することによって、最後の川となる。最後の川は、分解を通して絶えずそこに還ることによって最初の川となり、そして最終的には消滅して、エネルギーフィールドの中でより微細な「現実(リアリティ)」の最初のエッセンスに再吸収される。

 次の章では、3種類の「意識」や「マインド」の機能と、4つの等級の「物体」や「物質」、およびそれらの形成の関係について扱う。

協会名日本ポラリティセラピーサポート協会|Japan Polarity Therapy Foundation
住所〒657-0011 兵庫県神戸市灘区鶴甲5丁目1−50 プラザ翠光205
電話番号080-3762-4042
営業時間9:00~18:00
代表者名早志享子(はやしきょうこ)
メールアドレスpolarityschoolofjapan@gmail.com