いざシベリア 旅物語り

久しぶりのブログです。。

人生山あり谷あり、 旅は道ずれ 世は情け。。。こんなことを言いながら二週間前にインド  ヒマンチャルより戻ってきたばかりでした。。。ヒマンチャルの旅の思い出は面白いものばかり、本当はブータンに行く予定でしたが出発前日、ハラキリの思いで行き先をインド ヒマンチャルへ全変更、もちろんエアチケっとも買い直しました。。

 

旅の道程は保寧寺の和尚様のブログで面白おかしくシェアしてくださっていますので、どうぞ、皆様!お読みください。。尊敬の無一和尚、旅をすると最もよくその方のお人を知ることができます。修行を長きにわたって続けてこられた和尚の凄さ。。。心の整え方と人生の楽しみ方、何者にも変えがたい学びをいただきました。

 

さぁ、 旅ブログ、書いたことはないけれど、今回のシベリアはとても思い出深いものになるので、書いてみました。過去と現在が交錯するのでとっても読みずらいと思いますが、御心にゆとりのある方、おヒマな方はどうぞ。。

 

なぜシベリアなの? そんなことをよく聞きました。7年ぶりのシベリアです。。

7年前の7月。。。

7年前の7月26日 途切れ途切れの音で 外国の人から電話がかかった、、、accident happened ,fall down from sky………adie has a… need insurance number to transport start….
7年前、私は六甲 篠原台に父と一軒家をシェアしていました そう7月27日に開けて12時ごろ、、、ムッと暑い、変な夜。妙に綺麗に光るセッションルームのランプの下、その電話を受け取りました。電話の先の女の人はロシアのパラグライダーパイロット マリナだった。。ほとんど声は途切れ途切れでなんとか予想しながら状況を把握しようとした。
様子は眼に浮かぶよう、。空から友達が落ちて、、意識はない、村の診療所的な施設で横たわっている。最低に近い医療施設・・・その友達とはエディ クマール、世界ランキングに入るパラグライダーのパイロットだった

 

父は2階で静かに見守っていた・・・・アルタイからの電話を切った直後 30分間は叫んだことを覚えている。なんて叫んだかは覚えていないのだけれど、、。。

 

そのあと約一年間、全ての経済的活動、書類手続き関係の全てを父が手伝ってくれた。 エディが日本に戻り治療を受けたのも「全ての手続きを父が代行してくれたおかげだった。国民保険を作ることから始まり、入院手続きの全てだった、奇跡的な道を辿り世界で最も良いと考え付く全ての治療法を尽くした。日本ではボバーズ病院でリハビリを受けた。命の重み、人のつながり、を捉え直す機会となった。モスクワにいるときにはそこを戦場と思って気持ちを確かにしておくように、と励ましてくれた。

 

多くの会話は今でも持ったことはないけれども、親子で益にはならないゴールを目指す同士として支え続けてもらえたこの経験は、一生の中でも最も宝となる記憶となっていると思います。

 

アルタイからモスクワへ移動するときは最も驚くことがあった。今だに消化しがたい経験だ。

Dr Pavlo, 救急ドクターがエディの様子を見にきてくれて、今すぐにどこかましな医療施設で治療をしないと命はないと思うという。

ジェット機を飛ばすしかないが、今日は木曜日、 明日は金曜日、海外送金を待つともう航空会社は土日は動いていないので月曜日の移動、この3日間で命が持つかどうか わからない、。

木曜日の真夜中12時すぎ、、、、450万円という現金があれば飛行機を飛ばすことができる。

 

見ず知らずの、、、Dr パブロ自らの預金、そして見ず知らずのアントン それは長年の友であるクリスの知り合い、モスクワに出発する直前に困ったら助けてくれるから連絡先をと電話番号をくれた人 アントン。

 

この見ず知らずの二人にお金を450万円借りることになる。。。真夜中のモスクワ、ある公園でこの偉大な男二人は合流した、自分たちの現金をもち合わせてそのまま航空会社へ、、次の日の早朝そのままジェットに乗り Dr パブロはきてくれた。。。アルタイからモスクワへ、移動した。。8月10日だったと思う、日本からアルタイへ移動した日からモスクワへ移動するまでのやく10日間、ずっと一緒にいてくれた、それまではであることも予想もしなかったカリンカ 今では家族のように信頼している友達だ。

 

このカリンカを訪ねてシベリアへ今日発つことになっている。

 

エディが事故にあったアルタイ共和国、kurayという山にはあるいいつたえがある。

2500年前のシャーマンの女の子の身体が見事なまでの状態で永久凍土から出てきた。あまりに綺麗に残されたその身体や装飾品は そのままモスクワの博物館に入ることになった、しかしその直後から不穏な出来事、事故が相次ぐことになる。 アルタイ共和国は今なお色濃くシャーマニズムが残る貴重な文化圏、多くのアルタイ人たちがそのミイラになった身体を元あった場所に戻すように強く強く祈っていた。彼女は黄泉の国の蓋を閉じていたという。。

 

多くの祈りが行われている様子を伺いその音も聞こえるかのような気がした、2013年、ようやく協議が成立し、身体はアルタイに戻った。しかし、元あったそのままの土地に戻されることはなく、クリスタルボックスでつくられたスケスケのお墓に飾られている。

 

土地の人々の祈りは今なお続いているのだろう。。

 

私は非常に興味深くその記事を読み続けて見た。

25歳の若さで亡くなった女の子。7人の戦士たちとともに、。土地の波動を守ってきたのだろう。。。それは果たしてシベリア地区、モンゴル地区のみの土地のためだけだったのだろうか。。。思いは果てし無く広がった、大地の繋がり、大きな大河、他とは違う土地の周波数、不思議だっとのは、ヒマラヤとブータン、そして日本のいくつ化の場所に共通を感じた、あるペルーの山へき、トルコのカッパドキアにも同じような音を感じたことがあった

 

アルタイからモスクワへ移動する日のことは今でもまるで昨日のことのように触れることができる。風の匂い、昔ながらの家屋の作り、これから先のことは何も読めない、どこに行くのか、どうなるのか。。不安を感じることも許さず、弱音を吐くことは考えつかない 知らないことだらけのモスクワでの入院手続き、どこで自分は寝泊まりするのかすら何も知らないでただモスクワへ向かった、昏睡状態の友人とともに。。

 

崩壊する常識、一人で何もできない、言葉がまず全く通じない 。全く違うルールで動いているロシア、。。。

私の狭い了見で見てきた世界、それはアメリカやアジア、

 

大国ロシア そして ソビエトユニオン の歴史を垣間見るレニングラード、ロシア人の若者が教えてくれる生きた歴史、彼らは今現在生きている中で国が崩壊したことを経験している。価値観の移行期、まさしく子供から大人へと成長してきたのが彼らだった。

 

見ず知らずのロシア人の人たちに毎日、取っ替え引っ替え助けてもらいながら、昏睡状態の友達の入院手続きが完了した。自分の宿泊もなんと、友達の友達、見ず知らずの人が受け入れてくれた。。。
ジェットを飛ばす時に真夜中に200万円くらい借りたアントン、翌週にはあと100万円、しかも平日のさなかに病院に持って行ってくれないか、と頼み事をした。。

 

見ず知らずの人にお金を借りることを頼むこと、心臓が裏表逆になりそうなくらい嫌なことだった。もう背に腹は変えられないタイミング、もう方法がここしかない、しかも見ず知らずの人。。。命と引き換えにはならない。。

アントンは快く受け入れてくれた。忙しい平日に病院へクレジットカードで支払いに行ってくれた。 ((信じられない光景は、、ジェット機の中でインドのお兄さんたちの動向において受け入れ側のモスクワの病院が入院を断ってきたのだ、、Drパベロは全力で説得し、なんとか入院許可を得る、そしてアントンにお金を借りての入院手続き、、

 

あの時もう一度心に思った。。

 

お金をこのように動かせる人になりたい、、と。。。必要状況に合わせて意思をしっかりと通せる人間になりたいと・・

 

借りたお金は数日以内には全て返せた、、それは日本のみなさん、世界中のエディの友達の基金のおかげだった・・・

 

モスクワでの入院手続きは嘘のように大変だ。。。私はエディの友人で、家族でもなく。入院手続きには必ずと行っていいほど弁護士の立ち入りが必要で、パスポートの翻訳も公的なところで行われなくてはいけない。

 

嘘みたいに大変な作業、言葉が全く通じない、一人では全く何もできない。。。。お手上げ状態。そして入院病棟は ICUである、家族でも面会は制限されている場所。私は毎日見舞いに行き、できる限りのトリートメントを行っていた・・・

 

祈りの力を信じる信じないという選択はなく。

 

手伝ってくれている人たち、心配している友人、昏睡状態でなお感染症と戦い続けていたエディを見守りながら、祈るばかりだった。

 

命の重みをひたすらに感じていた日々。

 

今から考えると そこまでしなくても、ということがたくさんある。

ただ命を繋げるための最善の方法を見出してはエディの兄たちがそれを壊していくという考えもつかない戦いがあった。。。最も大変だったのは、彼らとのやりとり。。。インドにエディを連れ帰る直前までそれは続いた、責任転嫁の大嵐。。。

 

しかし治療法に関して世界で最良を探す、ということを試み続けたこの数年間で学んだことの量は計り知れないと、後々、現在出会える生徒さん方、クライアントさん方との出会いでわかったこともあった。。

 

最終的には父と師匠の二人掛かりの説得で私は自分に人生に軸を戻すことができたのだけれど、、人生は本当に摩訶不思議。。。

 

モスクワでの思い出、

自分の仕事も顧みずに、毎日の入院手続きを手伝ってくれた、キリルあまりに私が介護に没入しないように外へ連れ出してくれたり、サマーハウスに連れて行ってくれたり。。パラグライダーで息子さんをなくした ママ ガリーナ, 息子さんの思い出の大切な青い石、kurayの山で拾った青い石、私に一つ持たせてくれた、ダイヤモンドよりルビーより価値のある青い石。毎日眺めがらママガリーナのように心を強く持とうと決めたものだった。

 

最初に電話をくれたマリナ、彼女はロシア代表のパイロット、その彼女もフランスで事故があったりした、その事故の直後、自分は怪我をしているにかかわらず、エディのために送金しようとしてくれた。。私はモスクワにいる間、彼女の部屋に住まわせてもらっていたんだ。。

 

自分自身を完全に崩壊させ、作り直した経験であることは間違いなかった、ロシアへ、そしてシベリアへ、やっと戻ることができる・・・・・

 

あのアルタイを出発するジェット機に乗る瞬間、心の中で、いつか戻ってくるから。。。

 

目の前で大変なことが繰り広げられている 昏睡状態の友達の行く末、自分自身はいつ帰国できるのかもわからず、仕事のこともほっておいて。。いままで一緒にいてくれた 友との別れを前にして。。なんでそんなことを瞬間考えたのか、自分でもとても不思議におもったのだけれど、、、、、・

 

<あなたに何かを届けるために。。心の中で 2500年前の女の子へ伝えた気持ち、>

 

そのシベリアへ。

 

心を分けた友が空港で待ってくれる。。。。。

 

スーツケースいっぱいに詰め込んだ日本のお土産 会えない時間にいっぱい詰め込んだ思いの数々
友達がいるから 訪れることができる シベリア。。

この二年間かけて準備をしてきた

 

旅をした距離はおびただしく長いんだけれど、なにか役に立てませんか という気持ちを消すことができず、心の距離はどれだけでも乗り越えることを一つ一つの旅を通過するごとに知ることになった。
祈りと鎮魂 自分の心にいつも心に留めている。そして、旅するがことに供養をと思う。出会う人々の数、出会う家族の数は星のようで。

 

だからこそ この旅は、自分という名を捨ててそこにまっすぐに向かいたいと思っています。

 

こんな風に自由に旅をすることもひとえにスクールを守ってくれている関係ある全ての人々 のおかげです。

 

感謝が募るばかり、その気持ちいつかお返しができますようにと 思いながら、この旅、
出発します。

 

旅の安全と万全の道を祈願し、一部始終御守りいただいている竹中先生、内側のロマンをどこまでも理解し、サポートしてくれる父と我が師匠 Gary strussに最高の感謝を持ちながら・・・とりあえず、、行ってきます。。。