パニックの記憶をたどり、思い出してみたいろんな出来事。。

投稿日:2017年5月25日  BLOG

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なんとも、本日、記念すべきトラウマ攻略記念日として自分の記憶にしっかり留めておきたい出来事がありました。海でのパニックが克服されたのです、、そのことについてはこのブログの最後の部分で書きました、もし興味があれば最後までお付き合いください、ただただ、長い文章ですし、乱文ですので、読みづらいと思います。。

わたしは数年前にプラムの種を誤って飲み込んでしまい、胃の真上のところでつまってしまうというバカな事件から以降、車の運転をしているときにパニックアタックになったり、何年か前からの海や湖で溺れた経験が引き金で、海が強くなりパニックになってしまうということがありました。あれやこれや原因を探るのですが、どうも主に運転は電気自動車に乗っているというという点と、きっと2012年にロシアで過ごした経験が体内に残っていたことが原因だろうということがわかってきました。(この運転パニックにおいては面白い記憶の掘り起こしがありました。モスクワでの高速道路の状況が運転中にフラッシュバックしてきたんですね、)、おかげでパニックにおける体のメカニズムが非常によくわかりました、酷く出るときは飛行機の離陸直前などにも出そうになります、もうエンジンの真上に座席があったときにはプロペラの回転方向まで体感してしまうほどでした。。エンジンを動かし始めたときにものすごい電磁波がでるんですよね。。全身でその電磁波を感じたときには、あぁ、、こういうものに神経がされされたら神経がすり減ってしまうなぁと理解できました。よく思い出してみると、まぁ電気自動車に新幹線、飛行機の大量使いの日々なので、実際食べ物で電子レンジなどをつかわないようにしたり、携帯電話は持ち歩かないようにしたりしていますが全然バランスが取れないんですね。また最近、電気の数値を測る機械をおかりして測ってみると、居心地の良い、モンタナオフィスとはうらはらに、まぁ日本のわたしの寝室の電気の数値の高いこと、、これはよくないですね、どうも寝心地があまり良くないとおもっていたんです。やっぱりかぁというところでした。 そしてお知恵拝借、銅線と銅板によってつくるearth抜きですぐさま電気はぬけれるようになったので、それに触れながら夜眠るとと寝た後のすっきり感が増しました。これはとっても簡単なつくりなので、みなさんに大おすすめです。銅板に銅線をくっつけて、銅線の先をアース抜きのコンセントに差し込むのです。次回日本にかえったときには写真にのせますね、簡単につくれますし、費用もまぁ1000円以内におさまります。 さて脱線しましたが、話をパニックにもどして、、 パニックになる直前というのは不安感とものすごい勢いで最悪のケースの想像が思考をよぎります。経験のある方はきっと、深くうなづかれると思いますが、 たとえば 飛行機が離陸したあと、息がとまったとき、どうすればよいいいのか、など。。 もう飛行機のなかでは救急車すら呼べないですし、きっと酸素マスクをもらうことになるけれど、過呼吸ならまず息を吐かないといけないですものね。そんなことを1秒間のなかで一気に考えるのです。そして直後に、<おいおい待てよ。間違っても息を吐いてるわけだから、吐ききれば、吸気がはじまるわけで、横隔膜さえしっかり動かせれたらいいんだよなぁ >なんて考えるわけです。一秒間にどれだけの考えが巡るか、ほんとに恐ろしいほどの思考が駆け巡るんですね、とくに悪いことを想像したときのマッハなスピード感、日々はわたしは能天気というほど 前向きに考える癖をもっているので、このパニックのときの思考パターンは自分のなかでは非常に興味深い体験です、いつもと思考の動き方と全く違う形をして、全く違う速さをもっているのです。 全て体感覚でとらえていく癖が身についているので、わたしはその思考が走っているときの体への影響を観察するようにしています。 そうすることで、エネルギー的プロセスを解剖しやすくなるわけです、ここがそう、マニアックな所以なのです。

ところかわって、パニックのもとになった経験をしたロシア時代を少し思い出してみました。

ロシアにいる時には昏睡状態の友人がつねに命の危機にさらされていたので、意識的に不安感や恐怖、どん底なるイメージが、押し寄せる波のように次から次へとやってきていました。それをイメージのなかでかき消しながら、意識をユニバーサルな潜勢力におくように、それをまぁ天と地の間なのか、もしくは中心軸のなかの宇宙なのかどちらでもあるとおもうのですが、そこに光の粒子が拍動している層のなかに意識を置くようにしていました。ロシア時代の全ての時間軸のなかがもしかしたら精神鍛錬になったのかもしれないいなぁと振り返って思います。。こんなふうに思い返してみることもなかったのですが。。

そう意識の場所を中庸のところにおきながら、現実的な作業を行いました。ロシア時代は現実には数百万円の入院費用を命と引き換えに用意しないといけない、などの危機的瞬間が幾度かありました。たくさんの方から寄付していただいたり、クレジットカードの保険とかけあったりしながら、工面し、ロシア大使金とロシア国立病院間の移動、治療方法の選択などをおこないました。今考えると、きっと二度と経験したくないような心理的ギリギリのなかでの選択の数々だったと思います。わたしはいままで一度も触れたことのなかったロシア人の友達の家でお世話になりながら、地下鉄にのって毎日病院に通う日々でした。ロシア人ほど親身になって助けてくれる人たちは見たこともありませんでした、毎日、毎日出会ったことのない人が助けに来てくれました。毎日わたしが孤独を感じないように、声をかけてくれ、病院での一つ一つの作業が、やたらと難しさが伴うのですが、必ず助けてくれる人が現れ、なんとか3ヶ月を過ごすことができました。オムツを購入するにも、床づれがしているから注意してくださいと看護士さんにお願いするにも、ロシア語を必死に覚えて使うのですが、お店でであう人、病院で出会う人は誰一人耳を傾けてくれないんですね。。ベジタリアンであるわたしがレストランでオーダーするにも通じず、、結局友達に電話をして、オーダーを電話越しにしてもらう、なんていうこともありました。 信じられないほど違う仕組みでロシアは動いています。病院は国営です。そこに外国籍の昏睡状態の人が入院していて、その人の保証人としてわたしが存在したわけなのですが、今後の治療方針なども一手にわたしの意中できまりました。さて、また話がづれてしまいましたが、そう、この友達の事故によってわたしの人生を大きく変わったなあと思います。そう、友達という概念が一気に変わりました。いつしか自分が自分の人生のベクトルを変えるときに人間関係が大きく揺すぶられ、変化のときには必ず一人になるものですが、一人になることへの恐れが少ない自分だったために、乗り越えれたハードルも、逆に乗り越えることになったハードルもあったのかなあと思います。ロシアでの経験以降、わたしには大切な二人の友達ができました。一人がドイツ人のブリゲッタ、一人がロシア人のカリンカです。もっとも辛いときに、どこまでも助けてくれたこの二人が人生でもし一番大変なときが来たとき、わたしは絶対にそばにいようと心に決めていたんだけれど、その5年後に、図らずも、、ブリゲッタのお母さんが旅たつ瞬間は常に私たちは連絡を取り続け、カリンカの大切な愛犬が虹の体になるときも常に連絡を取り続けれました。。きっとわたしがそう心に決めた思いはどこかで彼女たちにつうじていたのかもしれず、はからずとも彼女たちから連絡が随時おくってくれました、、最愛の存在が旅たつ時の心の痛み、ともに分かち合える友がいること、すごく大切だと思います。

物質的には数千キロ離れたところにいても、心がつながっているということがリアルで、ソウルメイトをもつことの深い意味を毎年なにかしら感じます。 国籍も年齢も関係なく、出会う必要がある人同士はかならず出会うことができるんだと、思います。

 

友達のその大きな事故は、わたしが内なる光と音の瞑想の実践をはじめて2年目の出来事でした。それまでのわたしの人生はポラリティセラピーのスクールを運営しながら、そして大きなヒーリングセンターを運営することで疲弊し、このままでは燃え尽きてしまうとおもい、ヒーリングセンターをクローズした直後だったように思います。実際わたしはセラピストとして活動しながら、スクールディレクターをしていたのですが、合わせて大きなセンターの経営、運営者となり、一手に責任が膨れ上がりました。もともと目に見えるものへの執着はほどなく,いつでもセンターは手放す心持ちだったのですが、その場所に携わるみなさんの思いはきっととても違っていたと思います。愛着をもって、その場所を利用してくださっていたお客様、そして使用していた講師の方々へきっちりとご挨拶することなくわたしはその場所を去ったので、きっといろんな思いがよぎったと思います。時間の経過が必要となる出来事、綺麗に洗い流すことがなかなかできなかった人生経験、わたしにとっては苦い思い出ですが、いまでは何よりも関わってくれたみなさん、利用してくださったみなさん、手伝ってくれた友達に感謝を感じています。そう、いまではようやくすっかり過去の一ページだったと観察できますが、30代をいま思い返すと、それはもう、責任の嵐だったように思いますし、きっとそれも知らずうちに全部自分で選んでいたんだろうと今では思います。

さて、人生の軸にわたしは瞑想の実践を置こうと取り組んでいるのですが、その瞑想について少し書いてみたいと思います。

瞑想を練習することは、物質的居場所をかえずにバケーションに旅立つといえます。 瞑想がうまくできると、精神に栄養をもらい、精神力と小時間での睡眠でも体力が回復します、ロシアで転落事故をした友達はわたしを瞑想の道へと紹介してくれた大切な友達です。その瞑想の道に出会うことをわたしは10年間待ち続けていました。わたしにとって、それは ポラリティセラピーの創始者であるストーン博士が最終に終着された内なる光と音の瞑想、Sant Mat の教えでした。それはsience of spirituality として瞑想を世界中で、教えてくださっています。 師は Sant Rajinder Sighen Ji Maharaji ですアメリカ、シカゴとインドのデリーにセンターを置きながら、世界中にて講話を行っていらっしゃいます。 毎年、9月ころか2月ころにはインドを訪れ、師の足元へ行きます。実際にラジンダー師の面前にゆきますと、、もうそれはすごい経験で、すべてが光の中に、感謝の気持ちが溢れ出てくるのです。おもに師のお背中を拝見し、その背後に数千人のすがる人々へ満全の愛を注いでおられる姿を見ると、涙が勝手に溢れてくるというわけです。師のお家のそばにアシュラムがあります。24時間瞑想をすることが可能なホールで、年に2回か3回は師がデリーにもどられるので、解放されます。瞑想は自分自身の精神、スピリチュアルな成長、向上のためにおこなわれる鍛錬ですが、内側の宇宙をどんどん探検していきますので、道先案内、ガイド役として師がいてくださっています。どんなときでも師がそばで見守り、私たちのようにイニシエーションを受け取ったものは、死にゆくときにはかならず師が迎えに来てくださるといいます。いまはまだ死ぬ瞬間など想像もできませんが、できれば、元気なうちにコロっと逝きたいと、そして、このいまの名前をもつ生が終われば、光の粒に戻りたいと願うきょうこのごろです。そしてそれは生まれ変わりを望まない、輪廻の鎖を断ち切る、そのための瞑想の実践ともいえます。。 生きながら、この鎖をきりながら、生きながらより自由になること、それはもう本当にいいことだなあと思います。

 

わたしはロシアでのギリギリの時期、内なる光と音の瞑想はステイ先で行うことで、気持ちを保ち、常に前向きに自分を向けることができるようになりました。どんな不安感も瞑想をしっかりすることができれば、俯瞰して観察することができ、自分の軸から発生しているのではないということを知ることができました。そうして、外的なエネルギー集合としてとり扱えるようになりました。そうすることで、心身に影響を受けずにいることができるようになったのです、 これは非常に大きな成果で、しらずのうちにずいぶん強くなったのかもしれません。ポラリティの師匠であるゲイリーによくわたしは、強い人間だ、と言われてきたのですが、どうもピンとこず、ただ、ポラリティを学び始める前に一度だけ、心を強くすることをやめたいとおもったこと、またロシアにいたときに、ロシア人のような心の強さを持ちたいとねがったことが思い出されます。

 

いろんな出来事があったので、ずいぶんと精神的にタフになった反面に体におけるストレスはパニック反応として、顕著にでるようになってきたのですが、そのたびに瞑想が役になつことを知りました。

運転中や飛行機の中などでのパニックはちょうど良いタイミングで、いま住んでいる村の近くでホメオパスのドクターをされているデニースに出会い、彼女からのレメディによって、いままでの人生で生きてきた、様々なストレスやトラウマを思い出しては解放していくということができました。またパニックも彼女にいただいたレメディを取り始めてからは一度も出なくなりました。興味深いのですが、いつも満月の夜に勝手にパニックになるのです。ちょうど夜の8時や9時頃に。。日本においてもオーストラリアにおいても。。

胸のあたりに水かさが増してくるのを感じた後、心拍が以上に早くなり、その途端に呼吸が上がってしまうのです。夜ふっとしたときにこのような状況になり、空を見上げるといつも満月でした。きっと満ち引きの関係、水に関係しているんだろうな、、とおぼろげにおもったのですが、いやぁ、やはり体は自然物なんだなぁと思います。。

臓器的に、血液循環系のエネルギーが高まるのが午後7時から9時、その直後に低期がやってきて、また腎臓が午後5〜7時が高期 午後7〜9時が低期、腎臓は悲しさを濾す臓器として、また循環系は心理ストレスがもろにでてくる部位なので、心で深く何かを受け止めたとき、に負担が重なる臓器なのだとおもいますが、腎臓は水の循環に非常に関係が深いですし、また循環系は血液そのものの循環に関与していますので、血液には鉄分を含み、生命磁場として、月による水の満ち引き、また磁力による満ち引きに大きく影響を受けるものと思われるので、こういった状態になったんですね、オーストラリアで生活するようになり、aborigineの方々の地球においての磁場とヒーリング場においての関係性、そして、血液による鉄分と儀式のときにぬる赤色の土、また心霊場との重なりなど、興味深い学びをしている最中ですが、実際の自分の体をつうじて学んでいる最中なのかもしれません。とにかく、精神的ストレスを身体をつうじてしっかり消化するには時間がかかるものだということと、意識的に消化していくことで促進されることは理解できてきたようにおもいます。

水に関してなのですが、ここ数年、ハワイ島で溺れそうになったことがきっかけで、海の中がこわくなってしまいました、10年も前は毎日できもしないのに、アメリカの西海岸にいったときは友達のサーフボード、それもショートボードをかりては、毎日波にまみれになりながらも、沖に出ていたように思うのですが、どこかで無理をしていたのかもしれないなぁと思います。しかし、この溺れた以降はものすごい恐怖がおそってきて、足がつく浅瀬でも波が少しでもあると岸に一目散とは知り帰りたくなりました。

海でのパニックはなかなかひつこく、以前は海のそばで暮らしたいばかりに、須磨海岸のビーチ沿いのアパートに引っ越し、毎朝 海で泳いでいたにも関わらず、気が付いたら、海辺で夜眠ることもできなくなってしまっていました。毎晩津波の夢をみて、実際海にはいると、息が止まるか、上がるかで、パニックアタックが心臓に発生してしまいました。これは非常に面倒くさいことなのです。現在、日本とオーストラリアで半々の生活をしていて、パートナーは大の海っ子、生粋のボディボーダーなのですが、彼は一緒にボディボードを楽しむのが願いでもあり、わたしもできれば以前のように海をスイスイ思うように泳げ、できるならば、この広大なビーチで波と戯れたいと強く思っています。そんなこんなで、ビーチでのパニックから抜け出るトレーニングはあれやこれやと取り組んできたのですが、なかなか、わたしの中に残った恐怖の体感覚はひつこく、思考と体の反応がバラバラになることも気がつきました。思考では、絶対溺れることがない足のつく場所にたっているのに、 体の反応は、もう恐怖がいっぱいで、心拍はえらい早いこと脈うっていくのです、加速する心拍により呼吸がどんどんあがり、過呼吸になりそうになっていきます。そうすると体が末端から痺れてくるんですね。奇妙ですが、この体の反応を淡々と観察することはできるのです。。ただ 早く陸にもどりたくてしょうがなくなり、海から出たくなります。そう 逃げ出したいという衝動です。頭ではわかる、なんにも強くない状況なのに、体が怖いと判断して反応してしまう。。そして、息が吐けなくなってしまう、もしくは吐き気がしてしまう、変な妄想的感覚が襲ってくるのです。こんな状況にわたしはほとんど出くわさないので、本当によい機会でした。。わたしは多くのクライアントの方との出会いで、多くのクライアントの方々はこの衝動を日常生活や人生の決断の瞬間に感じることがあるのかもしれないなぁと思うようになりました。反対されるのがこわいからチャレンジできないとか、嫌われるのがこわいから発言できない、とか。失敗するのがこわいからできない、とか、きっといろんな共通項がこの恐怖という感覚によって運動制限がかかっているのでは、と思います。

わたしは状況が海の中、であるとこのように反応しました。 そう、海の水 とは 感情のエネルギーそのものだそうです。 感情のエネルギー量が増した時に恐怖の反動が出る方はきっと多くいるのかもしれないですよね。。また鬱で仕事にいけないほどひどく落ち込んだり、心が苦しい状況になっておられる方が処方される漢方薬に胸から水を排出する というものがあるらしいです。

 

わたしは自分のこの恐怖との葛藤を一つの大切な人生のプロセスとして取り組んでいました。そうポラリティセラピーとは人生をプロセスすることを実体験をもって学んでいくためのものである、と規約にかかれているのですが 自分の人生で役に立たすことが最も深い学びだと思っているので、この数年間のわたの自分へかした課題はこの海での恐怖を乗り越えるでした。 この難題に一番助けてくれたのはパートナーであるシェーンです。海の大エキスパートの彼がそばで手伝ってくれるからこそに乗り越えれたバーだと思います。そして、なんともここが逆説的で面白いところなのですが、一番のきっかけになったのが、 怒りと憤りのパワーだったのです。 大好きな海の中で恐怖におののいているわたしの姿をみることは彼にとって、憤りになっていたのです、わたしの海でのチャレンジが失敗したときの彼の憤りと機嫌の悪さは凄まじく、ときには 帰りの車では一切 口をきかないことすらありました。その時に わたしはその対応にものすごく腹が立ったのですが、そこで思い出したのです! わたしがハワイで溺れた時のことを鮮明に。この記憶が明らかになったとき、恐怖の奥にかくされた自分自身の未消化の憤りがあったことを知りました。この海というキーワードに恐怖というカバーがかかったら、その奥にあった勇気や立ち向かっていくために必要な火がきえてしまっていたことを。 溺れたのを助けてくれた男性はわたしが溺れそうになりながら、help meといってその人のほうへ泳いで行ったわたしに対して、酷く罵倒し、そして助けたくない、ということを言ったのち、渋々とわたしを岸まで連れて帰ってくれました。わたしはその時の感情的ショックと、自分自身の憤りに気がついていなかったことに気がつきました。そう、わたしのなかでの海のなかでのやる気、ガッツ、向かっていく勇気、チャレンジ精神なるものが恐怖という感情ですっかり消されてしまっていたのに気がついたのです。わたしが取り戻さないといけなかったのは、海の中という状況における<火>の感情だったのです。そのことを思い出した途端、やる気がみなぎってきました。恐怖を感じた瞬間もこの<内なる火>がもえさかり、向かっていく気持ちが燃え立つと、自然に恐怖という感覚を瞬時に消し去ることを思い出したのです。シェーンは瞬間湯沸かし器のように憤ることがあるのですが、この彼の傾向がわたしのかき消された記憶を思い出させてくれ、わたしの過去の消し去られた未消化の憤りの経験が理解し、消化され、現在という時のなかでの火をつけることができるようになりました。

またこの気づきがあり、海の中の怖さがなくなったことの副産物もありました。一旦わたしのなかの隠れていた憤りが消化されるとシェーンの奥底に積もり積もっていつ噴火してもおかしくない憤りもウソのように減っています。わたしの無意識に残した未消化の憤りが知らないうちに彼を刺激していたのかもしれません。それはまるで、親と子の関係のように、母親が気がつかない気持ちの憤りがあれば、子供は知らず知らずに非常に影響をうけるものです。カップルというのは本当にリンクしあうものです、お互いがお互いを触発しあうものですから。。。シェーンの場合は自分自身の憤りや怒りを最大限に尊重し、肯定するという教育を受けて育ってきたので、そういったところはわたしは多いに取り入れることをしたいなあと思います。また逆にきっと怒りや憤りに自分自身を占領されないようにする対応を彼は学ぶことをしているのかもしれません。 海の中のレッスンにおいては、彼もいろいろわたしが日本へかえったあと、作戦を練ってくれていたようでした。海の中でわたしが恐怖にかられないように細心の心配りをくれ、また波が崩れるラインよりも岸がわからのアプローチを何度もなんどもするという方法にかえてくれました、そしてそれが難なくできるようになったのち、知らないうちに沖まで誘導してくれ、そのときは波をとらえず、ただただ深い海の安定さを味あわせてくれました。楽しさのみを経験することを繰り返す中で、知らないうちに波への恐怖感がなくなり、一人でもボディボードが楽しめるようになると思います。彼はネズミにサーフィンを教えていた人なのですが、ネズミの赤ちゃんに怖がらずにサーフィンを教える方法をわたしにも適応してくれたというわけです。わたしはもう、最初からそうして欲しかったわけです。なんとも、これも発見したことですが、わたしは海の中で優しく助けてもらうことを無意識的に望んだのかもしれず、きっとそれはハワイでの経験の裏返しの衝動だったんだなぁと気がついたとき、もう目からウロコがポロリと落ちたような、ホッとした気持ちがしました。そう、海のなかといえどもわたしはもう大人なんだということに気がついたんですね。多くの心理療法の中で、この無意識に望んでいる対応のされ方、を提供することもありますが、その同じサークルのなかに居続ければ、いつまでも意識的な成長、根本的な解放は見出しにくいので、どこかの時点での自立、大人への成長が見出すことはとても資源になるなぁということを実体感しました。

そのあとに、きっとこれで海の中でも楽しめるようになれそうだという気がしたのですが、まさしく、このたび、オーストラリアにもどり、海にはいったら なんと全く違う感覚で、一人でも深いところまで泳ぎに行けるようになりました。よかった〜〜、長かった〜〜〜とそんな気持ちがしています。 沖に出ることもでき、一人でも海で泳げることになりました。これで長かった海へのトラウマからは卒業です。なんだか、すごく多くのことを学ぶことができて非常な感謝がめぐります。

この海でのパニックに関して、より理解できたのですが。人は一人では絶対いきていけませんし、難題を乗りこえると決めることは自分自身ですが、仲間や家族、観察者、協力者がいることは何よりもの資源だと思います。

生きていくなかでどれだけ、家族や、友だちや仲間や協力者と過ごす時間がもてるかということは心の豊かさにつながり、私たちがこの体をさるときにただ一つ、価値として味わうにもこういったことのように思います。

愛に乾くことなく、与え与えられ続ける関係性を育んでいきたいと願います。

 

長々と書きましたが、人生はかけです! 勝算が半分あるならば リスク背負ってでも冒険ある人生を楽しむのはいいことだと身を持ってご提案します!

 

 

 

 

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